運動公園の愛らしい小さなスイセン |
良き意味でのなにがしかのストレスはあるものの、対人関係をはじめとするストレスは全くといってないから、人生で初めて経験するいわゆる世間的な前期高齢者時間を、勝手気ままに過ごさせていただいている。オーバーではなく人生で初めてではないかと思えるほどに幸せである。
自分でいうのも、こっぱずかしいが、きっと 健康であるからこそ、このような能天気なことを、のうのうと書ける自分がいるのだと思う。
何やらすべてから解放され、一日のほとんどを自分の思うがままに過ごせているのであるから、これを幸せと呼ばずして、何をかいわんやである。
声出しの途中最低3回はぶら下がる鉄棒 |
声出しレッスンの日と、弓の稽古以外は全く自由に過ごせるのであるから、私のようなタイプにとっては、またとない人生時間の訪れなのだ。
今しばらくの、健康前期高齢者時間の過ごし方次第、いよいよこれからが肝心であるのだ、と思わず初老の雄たけびを上げたくなり、青い春の空を見上げる私なのである。
65年間、かなり使ってきた体のあちこちに、コリや痛みも覚えながらもありがたき幸せとでもいうほかないほどに身体、きもちはいたって元気に動いてくれている。
冬の厳冬期は控えていたが、3月からは再び午前中竹韻庵にゆかない時は、運動公園で声出しレッスン、トレーニングを続けている。
運動公園には図書館も あるし、これ以上ない私にとっての遊び場なのである。これといって特別なことをするわけではなく、65歳の体と対話しながらおおよそ最低一時間は声を出す。
これはブログで初めて書くかもしれないが、声は裸足で広場を歩きながら声を出す。これがことのほか気持ちがいいのである。足の裏にはいろんなツボがあるそうなのだが、春とはいえまだ朝の広場の地面は冷えていていちじかんも歩くと足の裏がじんじんする。
しかし、足の裏をタオルでよく拭いて、再び靴下を履いた時の爽快感はたとえようもない。今日はこれから、午前中しばし竹韻庵で過ごすので運動公園にはゆかないが、初老時間を愉しく過ごせる場所が手直にあるということは、意味もなく嬉しいことである。
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