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2017-03-18

恋の骨折り損発表会、Y氏の努力奮闘ぶりに頭が下がる私。

早く床に就いただけ、やはり早く目覚める。窓か月がらは半月の月が夜明け前の空に輝いている。

さて、いよいよシェイクスピア遊声塾の第4回の発表会が一週間後である。70人くらいの方には告知を郵送したのだが、何人くらいの方が足を運んでくださるのかは、当日にしかわからない。

昔(といってしまうが)、仕事としてというか、企画をしていたころはとにかく告知して、お客を集めることに奔走していたのだが、そういうことをまったくではないが、ほとんどしなくなった自分がいる。

それはいろんな意味で、自分が歳を重ね変容してきているからだと思う。それをブログで書くと長くなるので控えるが、縁があってというか、私のことをまったく知らないような、シェイクスピアに関心があるような方に出会えたらなあという、かすかな思いが私にはある。

昨年の発表会に来られた方が、一人だが山陽カルチャーで、私もシェイクスピア作品を声に出して読みたいとやってこられ 、今も続いていて、4月からは遊声塾にも参加したいといってくださっている。

新しい出会いの中でも、これは私にとって特筆に値する。シェイクスピアを通しての出会い、なのだから。企画したものを通じてのこれまでの出会いとは、まったくといっていいほど異なる、かなり本質的な蜜なる出会いなのだ。
写真が横でごめんなさい

日本人には感性的に遠い、(言わぬが花的な)結構難しい、恥ずかしい言葉の数々を体を通して発することになるので、いやでも自分の自分の内的な姿をさらしてしまうようなことになるから、はなはだ勇気がいるのである。

そのほか、あの長い言葉を息も絶え絶えに ただ声を出すだけでも、出したものだけがわかる大変さ、それを50歳過ぎてからでも、続けている3名の方の勇気には、こちらの頭が下がる思いなのである。

その中でもおそらく70歳近い、Yさんの頑張りには敬服している。これまでの人生で、シェイクスピアなんかまったく知らなかったし、関心もなかったそうなのだが、ただ単に声を出したいと参加されてから早4年、 あえて一番言葉遊びが大変な、奇想天外的キャラクターに挑戦している。

その悪戦苦闘の努力ぶりに寄り添い、私もどうしたらもっと生きているかのように言葉が出てくるのか、もがきながらともに稽古している。

これは、自分も声を出しているからわかるのだが、自分に遠いキャラクターを読むのははなはだもって難しいのだ。(きっといつの日にか、もっと老いて、二人での懐かしき稽古を思い出すだろう)

だが、Yさんはあきらめない。だから私もあきらめない。稽古がすべてである。発表会はいわば稽古のお披露目、私を含めた遊声塾生の、未熟ではありますが奮闘ぶりをご覧になっていただきたいとねがうのみ、足をお運ぶくださいますように。

うまい下手、という次元ではなく、恋の骨折り損というお芝居に、息を吹き込もうとする塾生の情熱の発露がつたわるように、昨日も天神山で午前中、Y氏とチラシを作ってくださったIさんと3人で稽古を重ねた。

夜が明けた ので、これから運動公園に一人声出しにでかけます、今朝のブログはこれにて。


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