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2017-03-11

瓦礫の撤去作業で、東北人K氏に会えた喜びを思う朝。

昨日に続いて朝一番お線香をたて手を合わせた。ただただ想いを馳せ、いまだゆくへもわからない方々の冥福を祈る。

私は60歳の生誕を、遠野の今は無きボタンティアセンターで迎え、わずか2日間だが全国から集まっていたボランティアと共に、そこからバスに乗り、大槌町にゆき瓦礫の撤去作業に従事した。

震災後一年経っていたが、その時に見た光景は、身体に深く記憶されている。まだ雪が残っていて、久しぶりに富良野を思い出すほどに寒い中での作業だった。

 大槌町に出掛けなければ、もっと夢が原で働いていたかもしれないが、その時に何かがきっと起こって、現在に至っているのだということが、よくわかる。

何かもう一度、原点に還らないと、というような衝動感覚が私の中に 生まれたのは確かである。これまでの人生、要所要所で決断してきたうえに、現在があるのだが、大槌町での経験は大きい。

その時にともに作業したK氏とは、その後も親交が続き、すっかり大切な歳の差を超えた友人となった。秋田の出身で今は福島で仕事をさてている。

おととし大槌町で再会し 、大変広い東北を大槌から山形までドライブした愉しい旅の記憶が蘇るが、可能なら今年も東北の被災地を、K氏と共に訪ねてみたいと思っている。

とくに、福島の原子力事故事故周辺地帯は、K氏が住んでいるので道案内をしてもらえたらと、虫のいいことを考えている。(原発事故のこと、核のこと、安全とは、命とは、現代人の一人として考え続けたい)

咲き始めた我が家のマーガレット

K氏は 岡山からかけつけた私のことを、東北のためにわざわざという感じで、とても大事に接し遇してくださった。

奇縁、ともに瓦礫の撤去作業のなか通い合う人間同士の結びつきが生まれたのである。ただお話をしただけではこうはゆかない。わずかではあれ、きつい労働を共にしたからこそなのだと、私は思う。

私はつくづく単細胞だと思うのだが、第一次労働の従事者をことのほか尊敬している。詳しく書いている時間がないから省くが、ボランティアといっても千差万別、K氏はやはり東北人の粘り腰で、都会からやってきたボランティアとは一線を画していた。

細いのだが、身体が動くのである。足腰の決まっていない(かっての自分)人間というものがどうも私は苦手である。

話がずいぶんそれたが、大槌にいったことでK氏と出会えたことがきっかけで、東北に行く楽しみが増えた、元気な間は今後は家族もともに旅をしたい。

大槌には鯨山という面白い名の山があるのでそこに登ってみたいとも思っている。

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