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2014-03-11

命日近く、28年ぶりに届いた亡き母の写真

起きてささやかに黙とうしました。昨日は亡き母の命日でした。東京大空襲の日でもあり、おそらく生きている限りにおいて、3・11,3・10日は、忘れられない特別の日ということになります。

ところで先日、思わぬ母の写真を頂きました。来月結婚する姪を、膝の上に抱いたおそらく40代の頃の写真です。老いた母の写真は持っていますが、人生で一番幸せであったであろう時代の写真は持っていなかったので、貴重な写真です。

母の命日にまるで合わせるかのように、私の手元に届いた、一枚の母の写真は、宝物のように今私の手元にあります。この一枚の写真が、私の手元に届くまで28年の歳月が流れました。

人は普通一生の間に何度も絶望的な体験を、おそらく何回かはして、大きな転機を乗り越えながら、前に進むしかない、生き物ではないかと、個人的にはしています。いまだその渦中を、悩みながらも、ようやく楽しく生きていられる日々を、ほんのわずか実感している私です。

今はまだ、人生を語らず、前に向かって歩むことに、重きを置いていますが、少しずつ、時折振り返りながらも、前に進む年齢になってきたという気がします。

孫を膝に抱いた母は、なんとも幸せそうな表情をしています。孫、とんと実感がわきませんが、やがては私にも、このような時が訪れるのか、否か、まったく分かりませんが、老いてゆく中での、役割のようなものがあるのだということを、今後可能な限り、考え続けたく、母の写真を見つめながら思います。

ともあれこの年齢にならないと、やはり人間には深くは実感できないことがあるのだということを、ようやくにして知るように思えます。そういう意味で、生きてゆくということの大変さを乗り越え、孫を抱いた幸せな母の一枚の写真の重さが、ほんの少し私にもようやく分かりました。

先日の上京出張で、今秋に結婚する娘と婚約者と過ごす時間が持てたのですが、感慨深く夢のようでした。家族のありがたさもまた、沁みいる年齢になってきたように思います。

次女が、ホームステイから帰ってくるまで、犬のメルと、妻と私の3人での暮らし、生きるということは、まさに変化移ろいが、本質ということが分かります。日々生成を繰り返しながら、やがては大いなる神秘というしかない、宇宙に帰依してゆく。

3・11が起きた日の朝は、何やら私もいつもの朝とは異なるような、五十鈴川だよりになってしましいました。動いて、生きて働けるということの、幸福、重み。

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