このところ、ネギの定植を同僚のN氏とともにやっているのだが、時折風もなく、まるで畑が穏やかな天国のように感じられるときが、滅多にはないのですが、時折あります。雪が降ったり、畑が凍ったりして、ままならぬ冬を過ごしてきたので、その喜びはまた格別、N氏もまた同じ思い。
そのようなときがこれから先は、かなりやってくる気がしてとても楽しみです。3月に入り、気温が高くなり日照時間が延びるに従ってネギの成長もぐんぐん伸びてきている。
再三書いていますが、サンナンの農業チームは、少数チームです。私のブログにたまに出てくるN氏とはほぼ同期にサンナンで働き始めておおよそ半年、苦楽を共にしている。
ゆっくりゆっくり、我々の仲も、ネギが育つように育ちつつある。そのN氏が、最近私の五十鈴川だよりを読むのが楽しみだと、私に直接語りかけてきて、私を喜ばせ、又驚かせた。
まるで禅僧のように胡坐をかいてネギを植えるN氏 |
数は少なくても、楽しみに読んでくれる方がいるということは、私にとっては大きな励みである。おかしな話だが、書いているのに私はITに弱い。N氏、五十鈴川だよりに、コメントを入れたいのだが、その方法が分からないのだという、妻にもそう言われた。
ひょっとしたら、コメントを入れたくともその方法が分からない、方達がほかにもいらっしゃるのではないかという気がしてきたので、なんとかせねばいかんなあ、と思っている。
私ごときの、自己満足慰安ブログを楽しみだと言ってくださるのは、面映ゆくもまた嬉しからずや、といった塩梅。
おそらく、N氏とは元気にサンナンの畑で過ごすことの多い人生を、共に生きる晩年畑友達になりそうである。この世に生を受け、人は生涯にどれほどの人間に出会うのであろうか。
時折、はたと考える。そう考えると、何やらまったく、話もしたことがなくとも、すべての人間が、そこはかとなくいとしく感じられる、のはなぜだろうか。
それは確実に、いい意味で死を遠くにではなく、身近に感じられる年齢になってきたからだと、私は思っている。そこから真の意味での人生が、始まるのではないかという気さえしてきた。
命を頂き、人間は生きる。途方もなき命の連鎖の摩訶不思議。命が軽んぜられる時代の風潮の中で、私はN氏とともに、土の近くから謙虚に命の不思議を見つめながら生きてゆきたい。
春を創ることはできない、宇宙の摂理に抗うことはできないのだ。慾にまみれて生きざるを得ない生き方からの脱却が、中高年になったからこそ、可能になってきたと思う。蒼穹の下、かすかな眼に見えない何かに、静かに耳をすませたい。
私も ITに関する知識は 皆無に近いので なんとも言えませんが
返信削除皆さま 「コメントの記入者」のところで つまずかれているのでは?
私は グーグルのアカウントを持っていたので そこから 入っています。
「プロフィールの選択」欄に やたら 横文字が多いので 検索してみたら
ここ もともとは アメリカで作られたものだったんですね。それを グーグルが買収したものらしいです。
ご自分でホームページを持っていらっしゃる方なら「名前/URL」を 選択して 入られることもできるでしょうが グーグルアカウントを作成して そこから 入るのが 一番 簡単だと思います。
試しに
返信削除試しに「匿名」で 書きこんでみました。できないことは ないのですが・・・
返信削除日高さん、ブログ拝見しています。
返信削除グーグルアカウントを作成しましたら、入れました。
岡さん、ありがとうごさいます。