第2部・戦火のナージャ(是非見てほしい) |
私が自費ロンドン演劇留学から帰り、文学座を受けたのは27歳の時、普通は演劇をあきらめるころの年齢だった。私がもう若くないと弱気になると、亡くなった母が、何を言っているの、どんな人も今が人生で一番若いのだと、背中を押してくれた。
以来、生来単細胞の私は、その時点で自分なりに考えられるベストを尽くし、決めたら一切後を振り返らず、前へ前へと歩んで、現在を何とか生きているといった、あんばいである。自分の中の何かが示す、方向へとかじを切りながら、結婚を機に、心機一転生きてきた。
62歳になったばかりの今、いまだそのような心持を継続持続出来ていることに関しては、はなはだ幸運というしかない。アフリカに初めて行ったとき、直感したように、(この人たちは先々のことより、今がすべての時を過ごして、大いなる神とともにある)人生とは今現在がすべての時の積み重ねでしかないのだ、と私は考えている。
だから、先々のことにまで思い煩い神経を知り減らす、現代人とはあまたの点で私は、ずれを感じ始めて生きているといっても過言ではない。大いなる昔人は生と死を分けることなく、共存していたのだから、私もそのように生きているのである。
祖父祖母、父母とともに今も私は生きている感覚を失っていない。だからだと思う、限りなく不安がなく、満ち足りた人生を妻と出会ってからは送れている。あれも読みたい、いつの日にか妻とあそこにもゆきたいといった、現世的な煩悩的欲望はいまだ止まないが、よしんばそれが実現しなくても、それはそれでよしといった心境なのである。
ちょっと書くのが恥ずかしいのだが、この秋長女が結婚するので、お爺さんになってみたいといったことを、感じ始めた自分がいる。一年前までは考えもしなかったことである。だから人生は面白い、ある日突然、劇的といってもいい心変りが起こるのである。
長生きなんてことは考えもしなかったが、今はまじめに考えている。孫と見知らぬ国を旅してみたいなんてことを考え始めるのだから、我ながら実にいい加減である。これまでにも何度も書いているが、絶対矛盾からは生きている限り、逃れられそうもない私である。その往還。
不安と悩みは私の中では異なる、悩みは人を成長させる。そのことにしっかりと向かい合わない人とはあまり個人的にお付き合いしたくない。悩む力がないと(逃げずそこから出発する)、あくまで個人的な考えだが、人はその時点で、何か成長が止まってしまうのではないかという気がする。
今もささやかに、楽しく私は悩んでいる。極論すれば、生きることは楽しく悩むことに尽きる、その力を可能なら若いうちに貯えないと、晩年に貯えるのは(お金と違って)途方もなく難しいのではないかと、思う。
朝から、何やら論旨にまとまりなき五十鈴川だよりになってしまいました。
「おじいちゃんといっしょに旅行したい!」 とお孫さんに言わせなければいけませんね
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