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2014-03-22

意識は遠く、現代縄文的調和、非戦、非競争、非秘密、中高年ライフを目指す。

汗みずたらして働くという表現があるが、昨日は鼻水たらして働くというのが、まったくぴったりのような一日に、私の場合なった。

昨日相棒のN氏と終日畑でネギを植えたのだが、春分の日は穏やかさには程遠く、まさに春の嵐というのがぴったりの一日となり、我々の地道なネギ植え作業を、まるで翻弄するかのように、天気が豹変する一日であった。

何より一番驚いたのは、みぞれ交じりの雹が降ったことだ。晴れていたのに、にわかに降り始め中断、午後もそれを繰り返すという、不可解極まるめまぐるしく変わるお天気の中、それでも私たち二人は、黙々と畑での作業を、鼻水とともに継続した。

小さいころはお砂場遊び、中高年になった今は、天の下で土遊びに興じているといった塩梅で、このところの私は、縄文的土人【土びと】(何が縄文的かはおいといて)働きながらも、意識は遠いところでまるで遊んでいるかのような感覚で、日々を過ごしている感がある。

N氏も多分にそのような感覚を持ち合わせていて、我々はことのほかウマが合う仕事時間を過ごしている。二人して畑で遊んでいるのである。それはA専務の考える、サンナンの農業理念と合致しているのだから、誠に持ってありがたき幸せというほかはない。

他愛もない言葉遊びを展開しながらも手は動き、一日作業を終える時刻には、かなりのネギが植えられている。のらりくらり植えているようで、やり始めたころに比べたら、比較にならないくらい、、お互い上手になってきているのが、分かる。だから楽しい。

人間は、やはり生来遊びながら考えるように存在しているというか、出来ているのである。人という生き物を、上手に遊ばせたら、すごい能力を発揮するのではないかという気が私はする。はたして現代は、と私は問わずにはいられない。

現代はたとえようもないくらいな、悲惨きわまる疑心暗鬼競争社会だが、コロンブスの卵ではないが、もうそろそろうんざり、みんな一斉に風向き発想を変えて、競争しないで楽しく遊ぶことの中から、現代縄文的調和型、遊遊ライフへとまずは中高年が先頭切って舵を切る、そのことがことのほか肝要な時代が、目前に迫ってきていいる、というのが今の私の時代への認識だ。

小さき子どもは、意味もなく楽しく遊べる。なのに大人になると、何故遊べないのか、そのことを根本的に考えて納得させてくれる方が、とんと見当たらない。ならば昨日も書いたが、自分で考え、自分で仲間ととともに、貧しく(ちっとも貧しいとは思っていません、ただお金が少ないだけ)とも心豊かに見つけてゆくほかはない。

何度も書いているが、おかねは使うもので、つかわれるものではない。一〇〇〇〇年、あんなに長い間、穏やかに暮らしていた、縄文人が、今生きていたらと想像すると、おそらく現代にはきっと生きていたくないというに違いない。

過労死するまで働くために、この世に生まれてきたのではないくらい子供だってわかる。人は人のために、何らかの役にたつために学び働き、何よりも笑いあえる関係性の構築を、私は自分の周りに築いてゆきたい。A専務もそれを目指している。縄文的英知には、無限の宝があるように思える。

ところで、サンナンのネギ(完全無農薬、無化学肥料です)、販売します。欲しいだけ(1キロから)五十鈴川だよりまでご連絡ください。着払いで、遠方の方にも発送します。値段はおおよそ市価の三分の一くらいですので、くれぐれもどうかよろしくお願いします。

岡山市内に住んでおられう方で、我が家まで買いに来てくださる方は事前にお知らせください。サンナンのネギの販路を少しでも広げてゆきたく、勝手に小口販売担当になりましたので、くれぐれもどうかよろしくお願いいたします。

そろそろ畑に出かける時間となりました。

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