私の大切な生徒さんです |
このシェイクスピアを読むレッスンに参加されているUさんのことは、五十鈴川だよりに書いたことがあるので、読まれたことがあるかもしれませんが、なんとも素敵な凛とした(、年齢はどうでもいい)私なんかよりはるかな先輩の、女性である。
その方とのレッスンが、昨日もありました。生徒数が少ないにもかかわらず、カルチャープラザは4月からも、継続するということで、Uさんは大変喜んでくださいました。
昨日はロミオとジュリエットの3幕を二人で読んだのですが、この二人だけでシェイクスピアを読んでいる時間が、最近にわかにたとへようもなく、貴重な時間に感じられる、幸福な時間になってきました。
Uさんとは、レッスンの合間は生徒と講師という関係ではなく、それぞれの人生体験によって生じる共通感覚のようなものが、共有し合え、歳は離れていますが、なかなかに楽しい話相手になってきているのです。
いろんなところを旅されていますし、何より自分らしく一人で仕事をされ、芸術を友として生きてこられた、これまでの人生の歩みが、声を聴いているとよくわかるのです。それにしても戦前の大連生まれのおおらかさに私は感動してしまいます。
文体も人なりとか、顔を見ればわかるとか言いますが、声にもその方の歩んでこられた人生が投影されるということが、よくわかります。いかに一日一日をきちんと生きないと、こういう風な素敵な高齢者にはならないということの、見本のような方が、私の生徒さんなのです。
Uさんに頂いたカルフォルニアから届いたオレンジ |
Uさんは、いつこの世とおさらばしても、悔いはないという感じで、静かに背筋を伸ばし、小さな声でたんたんと読まれます。もう私はUさんにはレッスンをするということはしていません。ただただ二人で声を出して読む。生きていることの純粋時間を共有する、それで十分なのです。
可能な限り二人で、シェイクスピアの作品を読んでゆきましょうと、話し合っています。やがては二人だけの、小さな発表会もやれたらなどと、夢も膨らみます。おぎゃと生まれて、やがてはこの世をおさらばするまでのひととき、命を、お互い声を出し合うことで確認する。
存在している今という時間を、身体で確認するという意味では、演劇ほど適した分野はないのではないかという気がしています。うまいとか下手とか、そういう次元を超えて、今の自分の身体で素直に声を出す、晩年ライフを見つめてゆくヒントのようなクラスを、カルチャープラザでは目指したく思います。
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