いまひとつ気分がすぐれない時も、真っ白い画面に何か書いていると、時折まったき自由感に襲われ、精神がのびのびと解放される。自然にやんごとなき事を綴りたくなり、つづれるということの、気恥ずかしさの中にも、やはりありがたき、嬉しさのようなものがある。
それから量には関係なく、読んでくださる方がいるということのありがたき重み、バーチャルではあれ、眼には見えなくても何かつながっているという、そこはかなき幻想感覚の重み。だからこそ継続し書くことができるのかもしれない。がしかし、バーチャルに酔わないように自戒しないといけないと、思う。
日々の何げなくすごしてゆくかのような(本当はきっとそうではなく、嵐の前のような動きが、水面下で、ひたひたと進んでいるような気がしてならない)現在の自分自身の日々を、ささやかに懐疑的に生きないと、と思わざるを得ない時代感覚がかすかにあ私にはある。
さて、以前ブログに書いた、私の大好きなニキ―タ・ミハルコフ監督のひっきょうの集大成三部作の三作目・遥かなる勝利へ・が今日からシネマクレールで上映される。岡さんがわざわざチラシを送ってくださいました。(岡さん、深く感謝します)
今日は無理だが、近日中に必ず観に行きます。太陽に灼かれて・戦火のナージャに続く第三部、私は、前の二作はDVDでしか見ていないので、完結編を映画館で観ることが出来ることが、本当にうれしい。岡さんが知らせてくださらなかったら、よもやまたDVDになるところだった。持つべきものは、友である。
映画には、映画でしかできないことがある。分けても人生の19年かけての三部作、二部から三部までも8年かかっている。この大河の流れのような、骨太でしかも繊細なタッチ、ユーモアを持つ、ニキ―タ・ミハルコフ監督が私は大好きである。
やはりロシアの伝統、風土、歴史、民族性の良き芸術的DNAが、いかんなくニキ―タ・ミハルコフ監督には受け継がれていると感じる。私の好きなチェーホフの悲喜劇性もすごく感じる。何よりも、いかんともしがたい、人間の持つ滑稽で愚かな側面を、温かく肯定的に描くところが、私にとっての魅力だ。
雄大な構想力を満々とたたえ、部分と全体を、絶妙なバランス感覚で、エクストラをはじめ、映画に必要なあらゆる分野の才能を束ねられる監督はそうはいない。商業主義的娯楽映画とは、一線を画している。こういう映画を撮ることができるロシアという国、多面的にその国をとらえないと、近視眼的に陥りやすい私なんかいろんなことを考えさせられる。
芸術性と娯楽性を同時に描ける稀有な監督だ。亡き黒澤明監督とも仲が良かったという。分かる気がします。時間なく、落ち着いて書けないが、このブログを読んで関心をを持たれた方にはお薦めのフィルムです。19年もかけ最終章、このようなフィルムを一回で観るなんてことは私にはちょっと恐れ多いことです。名作は繰り返し見るに耐える、組めども尽きせぬ輝きを持っています。
久しぶりに、全身をフィルムに浸したく思います。
7日までの1週間 上映は1日一回のみです。お早めに (*^_^*)
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