土曜日である。5日から歩き回りフライヤー配布を開始、今日も午後は半日配布に動くつもりである。午前中は労働者生活をやっているので、6000枚ものフライヤーを配布するのは、考えてみると、無謀、不可能のような気もするが、敢えて私はこれを自分に課して動いている。
歩き回り、フライヤーを置いてくれそうなお店に飛び込みでお願いするのである。
40歳で中世夢が原で企画者として働き始めた当初から、主に休日フライヤー配布をしていた(当時まだインターネットは普及していなかった)のが私の原点である。その残り火のような感覚がこの年齢になっても抜けきっていないのである。完全に時代遅れであることは重々承知している。だが、どこかで私のうちなる声が、歩けるうちは、やれるだけのフライヤーを配布に動く事を、良しとする。どこか天の邪鬼的な私がどこかにいるのと、ここまで私を動き回らせてしまうほどの、土取利行さんがアーティストだからである。おそらく、土取さん、猪風来さんでなかったら、フライヤー配布は昨年で終えていたであろう。
フライヤー配布を始めてまだ3日を終えたばかりだが、このようなことでもない限り、街中のいろんなお店を眺め眺め歩く何てことは、私くらいの年齢になると、まずないのではないかと思う。長くなるので割愛するが、今のところやはり犬も歩けば棒に当たる、のような出来事が、次々に出来している。目標一日300枚配布して、3月いっぱいには配布を終えたいと、私は思っている。
だがハレノワでの300枚とか、友人が200枚とか、100枚単位で預かってくださる方がいて、フライヤーができてわずか5日間で、すでに2000枚近くが、はけている。焦らずこのペースで、休み休みしつこく配布に動けば目標が達成できそうである。
知人にラインで伝える。電話で伝える。友人に封書で伝える。そして見知らぬどこかの誰かに足で伝える。今のところこの4つの方法を駆使して伝える以外、私には方法がない。73歳の私の体をフルに動かしていると、脳の前頭前野が時おり閃く(気がする)。夢が原時代あちらこちらに配布に動いたので、体がいろんなお店を記憶していて、次から次に体があのお店に行けと、教えてくれるのである。
街の風景は時代と共に移り変わり、人心も移り変わり、閉店しているお店もあるけれど、元気に続けておられるお店もあり、温かくフライヤーをおいてくださる。とはいっても今回私が配布しているお店は、8割がた新しいお店である、カフェや、レストラン、ファッション、アパレル関係、居酒屋、バー、花や、CDショップ、などなど扉を開けてお願いするだけである。
表町界隈、奉還町界隈、倉敷美観地区界隈をこの3日動いたのであるが相対的に皆さん温かくフライヤーをおいてくださっている。さて、来週の土曜日にはどれ程のフライヤーが我が家から消えているか、とにもかくにも動き回るしかない。
PS 今日の写真は美観地区のとあるカフェの写真。ご主人が早速貼ってくださっていた。帰りに気づいたので写真に納めた、なんとも感じがよく、即反応してくださった。思わぬ人に出会えたときに、一気に嬉しさが込み上げてくる、こればかりは配布したものにしかわからない。(だろう)
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