昨日の五十鈴川だよりに瀬政さんについて実名写真入りで打った。その瀬政さんが所用で西大寺の近くに来られていて、夕刻わずかな時間ではあったが、立ち寄られ、リビングでお話が出来た。五十鈴川だよりを打つことで、なにやら思考がまとまったり、整理したりできるからこそ、こうも長く打ち続けているのだと思う。
雑談できる相手も似たようなことが言えると思う。瀬政さんとお話しできたことで、これからの大まかな流れの確認のようなものができて、本当によかった。時折信頼できる仲間と会話をすることで、いまを唯我独尊的にならないように、事を進めてゆくために、私にとって大切な時間となった。妻の存在もそうだが、私の行動や言動に直言してくれる身近な信頼できる存在が、私には絶対的に必要である。
ところで、明日の午後にはハレノワでのスパイラルアームズのフライヤーが完成する。お休みを中心にフライヤー配布に、おおよそ週に2日から3日動くとして、20日間、一日あちらこちら目標300枚として6000枚、予備として1000枚、計7000枚印刷することにした。時間を有効に使って配布するためのプランを、昨日今日と立てているところである。
今日はこれから倉敷の下津井まで出掛ける。これまで私の企画に足を運んでくださっていた主に同年代世代が、私を含めて高齢化し、社会的なそれぞれの事情を抱え、家を空けて出掛けることが困難な状況がにわかに増えていることを、この数年企画を再開し、その事を肌で私は感じている。
だから、この度はいまをいきる、粋のいい40代50代のかたに一人でも出会うべく、無理せず、しかし、もうこれで最後と言える位に、先日も打ったが老骨人としてやれるだけのことをやりたいと思っているのだ、その手始めに下津井エリアを探索しようと決めたのである。
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せっかくのお休み、せめて半日なにがしかの動きを試みれば、犬も歩けばではないけれど、何かに当たるかもしれない、との淡い願望のようなものがないと砂漠に水を撒くような企画は出来ないのである。アクションが起こせなくなったら、私は引退する。
フライヤーを置いてくれそうなお店やカフェを見つける感覚は、これまでの経験で歩き回るしかない、というのが私の原点、素朴極まる方法である。私が10才くらいまでの記憶、物売りのおばさんが、リヤカーに魚や、豆腐などを積んで直接訪問販売をしていた。限り無く私はその原初方法を遵守している、のだと思える。
家でじっとしていても、チケットは一枚も売れない。お客様を劇場に運ぶには、営業に徹するしかないではないか。頭の弱い私は体を運ぶ、行動力、実践力だけが取り柄のような私である。他にはなにもないと思っている。ってなわけで下津井エリアまで出掛ける。
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