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2025-03-05

歩ける骨で動く、スパイラルアームズフライヤー配布に動く、初日の朝に思う五十鈴川だより。

 3月3日夕刻、N氏のデザインしたフライヤーが(届けてくださった)予備の枚数も入れて7000枚ドーンと届いた。一束1000枚のフライヤーは重い。そのフライヤーをできるかどうかはわからない。3月30日まで何とかあちらこちらに配布に出掛ける予定、でかけるつもりである。昨日のように雨で配布出来ない日もあるだろうから、そうはうまくはゆかないことは、承知しているが、家にじっとしていてもフライヤーは一枚も減らないので、基本私が動くしかない。(のだ)

Nさんの素晴らしいフライヤー。

だが、長くなるので割愛するが、このスパイラルアームズの岡山公演支援者に名を連ねるK氏が、一昨日の夕刻出来立てのフライヤー100枚を配布に動いてくださると言うことで、わざわざ取りに来てくださった。

そしてなんとそのK氏から昨日午後電話があり、友人知人にフライヤーを見せたところ、たった一日で10枚チケットが売れたとのこと。夕刻、岡山でK氏にチケットを渡しチケット代をいただいた。

気持ちが動き、あの人にお願いをしてみようかなあ、と思う面々が、迷惑を承知で私には今のところ岡山に10数人はいるので、もう年齢的にダメもとでのお願いをKさんにしたところ、快く引き受けてくださったので甘えたのだが、よもやまさかチケットまで売ってくださるとは思いもしなかったので、その嬉しさは雨を吹き飛ばすほどに嬉しかったことを、五十鈴川だよりに打っておく。

五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方は、もう重々ご承知とは思うけれど、こういう予期せぬ意外な展開が起こることこそが、私が敢えて仕事ではなく、(何よりもよき思い出が確実に心に刻まれるのだ)この年齢でも企画を打ちたくなるモチベーションなのである。人間には喜びの感情、感動する感性のようなものが、ありがたいことに備わっている。(悲しいことだが備わっていたのに消滅しておられる方もいる)

もういい歳だから臆面もなく打つが、どうやら私にはありがたいと言う他はないが、いまだに感動したりするバネは健在である。でなかったらこのような企画を引き受けることは不可能である。話を戻す。Kさんのように人の頼みを我がことのように感じて動いてくださる奇特な御仁もおられるのだと、教えられるのである。絶望は愚か者のなすことと、もう希望探しに老人は動くしかないのである。その事を昨日Kさんから教えられた。

正直、この企画岡山では難しいといまでも思うのだが、この数十年、私が企画してきたものは、マイノリティのアーティストばかりである。父は若いうちの苦労は買ってでもせよ。人が嫌がることを率先してやれと、耳にタコができるくらい幼い私にいい聞かせたが、その教えはいつの間にか私のからだの奥深くに根をおろしている。

敢えてそのような私の性格を見込んで、この企画がもたらされたのであれば、父はきっと引き受けた私を誉めてくれるのではないかと思う。そういう私の原初的感覚の波動、想いの渦を、まさにスパイラルの渦を伝えるつもりで、フライヤー配布に動くつもりである。Kさんのおかげ、力強い同世代の仲間が現れたことで、なにやら幸先よい。スパイラル、うずうずする感覚は春の訪れ、私の春はフライヤー配布で見つけたい。

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