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2025-03-20

春分の日の朝に想う両親のこと、春の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりは日々生活記録的になっている。若いときのように文化的なこと(広い意味での)には、きっと年齢的なことも作用しているかもしれないが、家族、身近な人たち平凡に生活できることの有り難さを最優先で生きている。そして、もうほとんど過去の記憶、思い出に生かされながら、現在を生き直し続けている、といった案配である。

晩年の父と母

この数ヵ月土取さんや、猪風来さんのことに触れることが多いことで、私のことを誤解、曲解しておられる方がいるやも知れぬが、私はまったくそのような人間ではない。

ただ若い頃から多くの映画や、舞台や、音楽、書物、などに触れ見聞を繰り返してきたお陰で現在の自分が在るということは紛れもない事実である。

だが古稀を過ぎてからは、そういうことに耽溺しなくても、日々労働しながら、妻との老夫婦生活ができるだけで、十分な充足感が得られるような暮らし方が送れている。平凡生活のなかで、五十鈴川だよりが打て、日々草と戯れ体動かし、空の下で生きることの気持ちよさを私は見つけたのである。

今もそうだが、18才から世の中に出て井の中の蛙をいやと言うほど知らされた経験、そのトラウマのような感覚が、今だ抜けきれずにいるのは確かである。だが、古稀を迎える頃から、特に大きな手術を経てから後は、以前にもまして、身の回りの生活、妻や家族との時間を何はともあれ最優先生きている。

その合間合間、時間が割けるときに、企画を引き受けたりしているだけなのである。特に土取さんとは、26才のときから今に至るまで、交友関係性の持続の上に依頼されて、引き受けた責任上、生活者としての感覚、のりをこえず取り組んでいる。

土取さん、猪風来さんに依頼されることの誉れは、例えようもなく有り難く嬉しい。その事だけは五十鈴川だよりにキチンと打っておく。私のようないい加減な人生を歩んできた(ある意味では人生と言う運命に放り込まれた)そのことを余儀なくされ、なにがしかの夢のような出来事に、諦めずしがみついて生き続けてきたお陰で依頼された誉をバネに動いているだけである。スパイラルアームズ本番まで後40日、やれることをやる覚悟だけは健在である。

だがコマーシャリズムに身をおかない、ある種時代を超越した音の神秘を、独自に探求し続けている土取利行さんのスパイラルアームズを、この岡山で、今と言う時代に受け入れてもらえることの困難さを感じているのも事実である。その困難さを敢えて楽しむくらいのどこかに余裕、遊び心が不可欠である。

今、心から願うのは、一人でもチケットを買っていただき、スパイラルアームズの音の波動に身を委ねてほしいと、企画を引き受けたものとしておもう。誤解を恐れずに打つが、なんと難儀な企画を引き受けたものかと時に想うが、古い私、父は言うであろう。男がいったん引き受けたら歯をくいしばってでもやれと。小中、鬼のような父親に鍛えられた私は恐らくそのトラウマから一生涯逃れることはできないだろう。

話が脱線したが、フライヤー配布が一段落つき、このところ一筆いれての(メールで一斉送信すれば楽ではある)封書作業を平均一日に何通か、宛名の名前だけでも早朝墨を擦って筆で書き、他は万年筆で書いているのだが、その事が私には楽しい。たぶん今後ますます私は手書きの方に向かうに想う。その方がワクワク心が動きだし、楽しいからである。

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