世の中には、私などの想像の遠く及ばぬところで、あらゆる苛酷な人生を、いやがおうにも歩まねばならぬ方々が、大勢存在することを私は知っている。だからこうやって、つましく五十鈴川だよりが書ける、わが暮らしを虚心坦懐に幸せに思う。
さて、横になって身体をいたわりながら、眼を閉じていない時にはずっと本を読んで過ごしていた。佐藤優氏の【プラハの憂鬱】(すがすがしく素晴らしい)を読み終え、佐藤優氏と 池上彰氏の対談本【知らなきゃよかった】(読まなきゃよかったと思えるほどに世界は恐ろしく混沌化しつつある)を読み終え、続いてこれまた佐藤優氏と手嶋龍一との対談本【知の武装】を今読んでいる。
新書版の対談本なら、横になっていても軽くて十分に読めるから、まったくありがたい時間を過ごすことができた。佐藤優氏はとにかく対談相手が幅広い。(左とか右とか超越している、カテゴリーの枠に収まらない)読んでいる分野の本も多岐にわたっている。好奇心が半端ではない。私は佐藤優氏が選んだ相手なのだから、信頼して読んでいる。
対談相手によって(きっと編集者も素晴らしいのだろう)私の知らないことばかりが、話題に上り、縦横無尽に語りつくされ、分析されてゆく。その様はまるで第一級の知的サスペンスを読んでいるかの如くである。知る悦び、まずは知らねばならない。(知らぬが仏という言葉もあるが、私は知る仏の側に立つ)
発熱せず、横になっていなかったら、きっとほかのことをしていたであろうから、年に数回発熱し、横になっての新書版読書はこれからの私の思わぬ熱を帯びた、愉しみの時間とかすやも。
妻が丹精に育てた今朝の雨にうなだれる我が家のクリスマスローズ |
この方は、ちゃきちゃきと精神が実に若々しく、したがって文章も若々しく、ITにも堪能で、地元に根を張って子供たちに読み聞かせや、ちょっとしたお芝居作りなどもされている、実にはつらつと生活に根のある老い時間を迎え撃っておられる、敬服する先輩である。
そのような方から、心配してもらえる私は果報者、これもまた五十鈴川のおかげである。遠隔のわが故郷の地に、わたくしごときを案じてくれる人がいてくれるなんて、なにおかいわんや。
春、桜が散るころ、そっとわが故郷に帰りたく思う私がいる。幸い姉兄たちが健在なればこそ、帰る意欲もわく、がいなくなったら。
そのようなことを考えるのはよそう、今は姉も兄も義兄も幸いなことに元気なのだから、帰れるうちに何度も帰り、温故知新を繰り返そう。
最後に、E子さんご心配ありがとう。この場を借りてお礼を伝えます。またお手製のお茶を五十鈴川源流のお水でいただきたく、願う私です。
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