この間のふるさと帰省から、何かが一気に私の中で変化し、余分な邪念や力が抜け、手の届く日常生活を(それで十分である)記すように、ほぼ毎日書いている自分がいる。
普段ほとんど忘れているか、意識していないが、毎日新しい日々を生きているわけなので(歴史的に)、可能なら無理をしないで、老いてゆく下り坂の日々を、昔のどなたかの小説の題名のように、されど老いゆく私の日々なるものを、つづりたく思うのである。
さて昨日、最近はまっているクローバーの雑草取りに集中していたら、機械のメンテナンスが主な仕事のTさんがやってきて、一緒にクローバーの根を採り始めた。
天気もよく、二人で雑談しながら気持ちよく手を動かし続け、やはり二人仕事、ずいぶんとはかどった。愉しく働くとはかどるのである。
T氏は70代半ばだが、気持ちが若くお元気で、何よりも仕事に誇りをもってあらゆることに今も挑戦し続けている、これまでの人生で私が出会ったことのないタイプである。
とにかく多種類の機械に関するメンテナンスを一手に引き受けていて、後期高齢者ゾーンに入っているとは思えない、私もかくありたいと、同性として一目置ける、ナイスガイである。
人間の存在感、魅力というものの奥深さを、老いつつますます知り、自分の狭い世界を思い知る私である。夢が原退職後 、まるで18歳に帰ったかのような、また再びの前期高齢者でのフリーター生活。
良い香りの我が家のくちなしの花 |
異なるのは、あれから半世紀が過ぎ、そして、あのころより 格段に愉しいフリーター生活が送れているという事実である。
物は考えよう、アクション行動を起こさない限り異分野の生きた魅力的な人間との新たな出会いというものは、この年齢になると難しい。
ある人のお誘いで始めたこの仕事だが、私より ずっといろんな経験をされた魅力的に老いておられる先輩Tさんとの、たまさかのコンビ仕事は、刺激を受け愉しい。
先日わがルーツ細宇納間でいきなり出会った日高正俊さんも、75歳でお元気でかくしゃくとしておられ、手に人生が感じられた。つまりカッコイイ後期高齢者とこのところ私は立て続けに出会っているのである。
私にとってカッコイイ人というのは、大地の上で身体をフルに使って物事を前向きに考えられる方である。世界の片隅にそっと存在するかっこいい同性から、ささやかに学びたい、春である。
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