この数日風の強いが続き、午前中風の中での仕事をしていたのが、たたったのか喉が少し腫れ、微熱が一昨日の夕方から出た。
おとといは遊声塾のレッスンだったのだが、早めにレッスンを切り上げ、帰って栄養だけは取り、妻が湯たんぽを入れておいてくれた布団にすぐもぐりこんだ。一晩ぐっすり寝て汗をかいたら、喉の痛みがかなりやわらぎ、熱も引いていた。
世の中に出るまで、私は今より8キロくらい痩せていて (いまでも60キロくらいしかない)季節の変わり目には必ず扁桃腺を腫らし、熱が出るという虚弱な体質であった。
そのころに比べたら、本当に自分でも自賛したいくらいに、私は健康になった。それでも本質的に 頑健というよりはひ弱な体質である。それを少しずつ矯正しつつ今も何とかしのいでいるといった按配なのである。
だからこのように体がオーバーワークで不調を知らせると、何はともあれ栄養を取ってすぐに休むようにしている。幸い私は寝るのが好きなので、ただただ寝る。
わが体は正直である。先のふるさとへの帰省から、少々オーバーワークがやはり過ぎたのである。年相応という言葉をすぐ忘れる欠点がある。でもまあ、自分を慰めるわけでもないが、年齢を忘れてしまうほどに、やりたいことが減らないということは幸せなことだと思う。
五十鈴川だよりを書けることの、健康に日々が過ごせるということの有難さ、たまに発熱するということは、自分へのご褒美、何かが休みなさいといってくれてるのだと思うことにしている。
さて熱がひいた昨日から、佐藤優氏の【プラハの憂鬱】という本を 読み始めた。半分ほど読み進んだが、すこぶる面白い。
氏の博覧強記が成す多種類の専門的な本には理解が及ばぬことも多いわが頭なのだが、外務省に入ってすぐ、英国の陸軍学校での語学研修生時代の出来事に端を発する、半自伝的なこの本は私の頭でもぐいぐい引き込まれる。
やはり佐藤優氏は、読むたびに思うことだが異能の人、このような多面的な思考ができる人というのははなはだもって私のような安きに流れ、騙されやすいタイプの人間には貴重な作家であると痛感させられる。
何よりもその事実認識、冷静さ、ぶれなさ、自分自身のキリスト教徒としての誠実さにびっくりさせられる。朝の五十鈴川だより時間で、氏の膨大な多岐にわたる仕事への言及は控える。
2005年くらいから、氏の本をたまたま手にし、以来この方から勝手に学びたいといつも思わせられる信頼できる作家である。(どのようにしてこのような方が出顕したのか、両親がこれまたすごい)
学者であり、ジャーナリストであり、分析官であり、そのしたたかな胆力は実際の体験に裏打ちされている。実践と行動力、文武両道の達人である。(と勝手に思っている)
512日間拘置所で読まれた本のリストには驚愕した。ほとんど私が手にしたことないような御本ばかりであった(読んでもわからない)。キリスト教徒であり、思想家である。そして、愛国者である。
佐藤優氏が書かれた本は、繰り返し読むに堪える、知的水先案内に満ちている。日本人がこれから先、いやでも相手にしなければならない未知の国々の民族や歴史にこれほど通暁していて、それをわかりやすく教えてくれる存在をほかに知らない。このような方が今現在の日本にいる、私にとってははなはだ心強い。
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