ページ

2019-03-28

5月わが故郷五十鈴川のほとりで、桑江良健氏と語り合いたい。

遊声塾のレッスンの夜だけは寝るのが遅くなりしたがって朝も遅い。起きると、仕事に出かける前、妻が私が友人に送るためのキンカンの発送の準備万端を整えてくれていたので、遠方のキンカンが育たない、沖縄と北海道と栃木県の3人の大切な方に、一文を書いて同封し、歩いて郵便局まで出しに行った後の五十鈴川だよりタイム。

沖縄の二人のわが友人は、画家の桑江良健(沖縄の歴史に残る画家だと思う)・純子(沖縄人形劇の第一人者、人形も作られる、とにかくすごいご夫妻)夫妻である。

5月初旬良健さんが岡山にやってくるので我が家にとまりたい、そして一晩語り合いたいとのお葉書をいただいていたので、昨日昼、私の方から歓迎の旨を留守電メッセージに入れておいたら、レッスン中にお電話いただき、あらためてゆっくりとこちらから電話を入れた。
粒は小さいが変な甘さがなく天然の味がする

私は考えた、氏は岡山の前に大分に所用で来られるとのことなので、可能なら隣の県のわが故郷で一晩ゆっくりと語り合い、わが故郷を案内したい旨を伝えたのである。

このような機会はもうこれからそうはたびたび訪れないのであるから、良健さんにわずかでもいいから、わが故郷五十鈴川のほとりで、人生を語りあいたいと思ったのである。

遊声塾のレッスンを一日休んでも、私は体を空けて氏と語り合いたい、私にとっては、沖縄の魂で画業と取り組んで居る稀な大切な友人なのである。

レッスンはいつでもできるが、氏との語らいはそうはたびたび持てない。この年齢になると、あらゆる人生のお荷物を下ろし、整理し、それでも手放しきれない、いまだ全身での対話が持てる関係性の友人などは、そうは持てるものではない。

直観的な出会いから数十年のお付き合いだが、あまりにも私が沖縄の歴史に関して無知で、冷や汗を何度もかいたこと数知れず。だが氏は暖かい包容力で私を包み関係性が切れることはなかった。

氏は夢が原での私の企画、アフリカほか、いわゆる俗にいう西洋帝国主義上から目線の、 後進国扱いの、未知の国々の民族音楽企画をことのほか評価してくれた最初の方である。

小さな国にも、人々のかけがえのない暮らし、その歴史の上に築かれた無二の言語や、文化が存在することの素晴らしさを、私は 20代から30代にかけて未訪の国々、いわゆる非西欧文化圏を旅することで、肌で感じ取った。

その時の体験があったからこそ、氏とは多岐にわたる会話が何とか今も成立しているのだと思う。沖縄のことをわずかでも感じたり知ろうと思うのなら、一人でもいいから友人を持つことだと思う。

それはお隣の韓国であろうとどこの国であろうと、自分にとっての大事なひとが持てるか持てないかにかかってのいるではないかと、小生など は考える。

いずれにせよ、変化し続けてゆく時代のさなかでの、友人知人との長きにわたっての関係性の持続は、お互いに何か目に見えない問題意識のようなものがないと、はなはだ難しい。

桑江良健、純子さんご夫妻は、私に沖縄の芸術や文化の素晴らしさを、日本の(大和)の私に最初に知らしめた人である。

五十鈴川のほとりでの語らい。実現することを切に私は望んでいる。


0 件のコメント:

コメントを投稿