だが明らかに、数年前とは体力が確実に低下してきているのだという、自覚の深まりがある。このようなことを書くと何やら寂しげだが、老いてゆくということは、どこかもののあわれを、体感してゆく。日本人である私は四季と共に移ろいゆく摂理を感受する。
こればかりは、自分の体を通じてしか知るよしのない、初めての未知のゾーンに 入ってゆくのだという自覚をもって、個人的に五十鈴川だよりを書きつつ、老いを見つめてゆく覚悟を深めてゆければとの、念いである。
さて、明るい話題へ。先に書いた3月9日の五十鈴川だよりの続き。福山で外科医をしておられるT氏のことをちょっと書きたい。
T氏とは、私が岡山に移住し、 そんなに間もないころ当時岡山市役所の近くのとあるビルが、取り壊されることになり工事に入るまでの間、持ち主がその建物をアーティストに【自由工場】として開放していた。(たぶん一年以上)
そこで、私に何か企画しないかという話が持ち込まれ、私はやる気満々、一時間のドキュメンタリーフランス映画【ジャンベフォラ】(ジャンベという太鼓の名人ママディケイタが亡命先のベルギーから故郷に凱旋する度胆を抜かれるほどに素晴らしいドキュメント)というフィルムを一日だけ機材を持ち込み、4回上映したことがあるのだが、その上映会にT氏は来られたのだ。
何しろもう四半世紀前のことである。その後たまあに、電車の中でお見掛けしたりして、会釈をする程度のことはあったのだが、言葉を交わすようになったのは、私が夢が原を退職してから後である。
28歳、(39年前)私が出演演出したチラシ。 |
とくにこの数年、よく岡山駅で偶然出会う中で自然に言葉を交わすようになり、現在はシェイクスピア遊声塾 をやっていると話すと、見学したいとのことでリア王の見学に来られたのである。
氏はいたく感動され、過分な言葉をいただき、発表会にもテキスト持参で(おそらく事前にも何度も読まれていた)来られ、打ち上げにも飛び入り参加され、何と2次会の勘定を持ってくださったのである。
このような方、パトロンはそうはいない。人間当たり前であるが、自分が情熱を傾けてやっていることが褒められたり、評価されたりすると うれしいものである。
特に私の場合は、あまり褒められたりすることのない人生を思春期あたりから生きてきて、現在もあたふたと生きているものにとっては、量ではなくKさんとかTさんのように、長きにわたって私のやっていることを、遠巻きにきちんと自分の価値判断で物事をとらえる感性をお持ちの方にほめられると、うれしい、のである。まして、岡山では。
氏は医師であり、そして画家である(そのことを私は先日知った)。そのような方が、私が先日送った輪読会のチラシをカバンの中から取り出し、いきなり参加したいと口から発したのだ。
輪読会を思いついたことで、Kさん、T氏とシェイクスピア作品を通じて、同じ土俵で時間を 共有できることになったのである。一念を持続していると、意外なことが起こる。
遊声塾をはじめて7年目の春、昨年孫が生まれ、リア王を終え、正直 ここらでとの思いもかすかによぎらないではなかったが、輪読会を始めることでまた新しい何かが(苦楽が)始まりそうな気配、人生の最後は、五十鈴川のほとりで迎えたいとの希望を持つ小生だが、まだまだ先のことになりそうである。
何か、自分がその場に居合わせていそうな楽しい気分になる、今日の五十鈴川だより。「輪読会」勝手には、やめられませんね。いつも感じるのですが、一線で頑張っていらっしゃるのに、「老い」の言葉はまだ不必要で似合わない言葉だな、、って思います。
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