昨夜、今年2回目遊声塾のレッスンがあった。現在、香川から月に一度わざわざ参加する塾生も入れると、7名の塾生が私にはいる。
以前も一度書いた記憶があるのだが、はなはだ個人的なシェイクスピア遊声塾によもやまさか7名のかたが寒い冬、大変な仕事を抱えながら、しかも平日の夜、参加してくださっている事実に、時折夢のような感覚にひたることがある。
昨夜は、私も含め7名での熱きレッスンが展開した。何度も書いているがシェイクスピアの言葉、劇言語を肉体を通して声に出すというのは、はなはだもって大変なことなのである。
まさに無謀な塾を私は立ちあげてしまったのである。だがこの間も書いたが、このような無謀な塾に参加してくださっている塾生は、本当に奇特な方たちだという思いが私にはある。
貴重極まる、月謝まで払って私の塾に参加してくださる 面々に対して、私はかなり自分のありのままの恥ずかしい姿をさらけだしてレッスンを行っている。
意外と思われるかもしれないが、私は自意識が強く身内以外には(当たり前だが)なかなか自分をさらけ出せない。私の一番恥ずかしい姿をさらけだ せるのは家族だけである。
話を戻す、そのような塾生の中に20年来の友人M女史がいる。ひょっとすると彼女はキリスト教徒なのかもしれないが(本人には確認していない)博愛精神の持ち主である。
塾を立ち上げた時からずっと参加してくださっているが、社長、税理士としての お仕事が忙しく月に一度か二度しか参加できず、しかも来られる時間帯はほとんど9時近くなのである。
私はそれぞれの塾生の、今を生きるギリギリの生活環境の中で、何かを感じ求めている年齢の異なる方々に対して、精いっぱい乏しい才能でそれぞれの塾生に向かい合っている。プロを目指している一番若いH君には細かく厳しくやっている。
M女史にはほとんど細かいレッスンをつけることはない。体に留意して時折声を出しに来てくださるだけで私には十分な塾生だからである。彼女はほかの塾生たちを思いやれる懐のひろい稀な方である。
ひたむき、一生懸命に、シンプルに 声を出し続けているとみんなそれぞれにいい顔になってくるのが不思議なのだが、遊声塾はそんなに優しい塾ではない。
あのあまりにも魅力的な登場人物に、それぞれの肉体の血を通わせ、生きた言葉を発するのは至難といってもいい。
ときに、かなりの繰り返しの厳しきレッスンになるが、ギリギリのところで精神と肉体を研ぎ澄まさないと、なかなかにシェイクスピアの言葉は立ち上がってこないのだ。
話は変わるが、昨夜レッスンを 終えた後、M女史が昨日私が書いたブログの本の著者名を教えてくださいと言っていたので、この場を借りてお知らせします。
間違っていました。お許しください。中山祐次郎著【幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと】幻冬舎新書です。
S女史はお忙しきさなか、きちんと私のブログも読んでくださっている。わたしにとって稀ななかまである。
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