今日はS女史との2回目の稽古があるので、何とはなしにブログを書く気があまりおきないのだが、ほんのちょっとでいいから書いておきたいという気がする朝である。
今日は稽古が昼なのでちょっと在り難い。事実として運転にメガネは義務づけられてはいないが、いわゆる私は老眼である。
先日の夜の稽古、文庫本の福田恒存訳は文字が小さくて、ぎっしり文字が詰め込まれていて追うのに一苦労したので、昼の稽古はちょっとどうなるかが楽しみなのである。
文字がある程度体にしみてくるまでは 、私の場合口を動かすしかない。小田島訳と福田訳では言葉を発してみてまったくとは言わないまでも、かなりことなるのだ。
あえて書けば、小田島訳は読みやすく福田役は読みにくい。だが初めて声に出す福田訳は私にははなはだ新鮮で面白いのである。
ただどちらも日本語として言葉を発するのには全く変わりはない。今現在のわが体にすがりながら、自分が発する言葉をひたすら探しながらの作業、つまりは稽古を積むしかないのである。
そのためには、私なりの工夫をしながら稽古を積み上げてゆきたいとの今は思いである。 どれだけ現在のわが体を知ることができるか。
汝自身を知れというが、もう間もなく64歳を迎えるにあたって、現在値の自分の体を知りたいという思いがにわかに私の中で湧いてきているのである。
間違いの喜劇を全幕一人で読みたいという試みも、例えれば素手で、丸腰で山に登るような感覚に近いが、ただただ読んでみたいという単なる思い付き遊び心である。
照明も音楽も衣装も まったくなにもなし。無防備に幾人かの来てくださる方に見て聞いていただくだけ、である。
S女史との稽古はこれとは全く異なる。だから楽しみなのだと今は書くにとどめる。
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