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2016-01-03

謙虚に学びたく、お正月そうそう本屋さんにゆきました。

お正月もはや3日め、今年は例年になく静かで穏やかに過ごしている。娘が午前中元旦からアルバイトをしているが午後からは家族4にんで過ごしている。

昨日はバイトを終えた娘を駅で迎え、そのまま4人でお墓参りにいった。今日は娘がオフなので全員でこれから、美作の方の温泉ドライブに出かけることになっている。

我が家は全員が温泉好きなので、すぐに話がまとまる。年末も4人で近場の温泉に出かけたのだが今日は、ちょっと遠くまで冬の山道をドライブがてら、のんびり日帰り旅行という感じだ。

昨日は、午前中私はずっと本を読み母や妻はそれなりに各自思い思いのことをして過ごした。母と妻も私もほとんど テレビを見ないので静かな時が流れるお正月だ。

お墓参りから帰って、私だけちょっと岡山まででた、気分転換がてらにゆくところはほとんど私の場合決まっている。本屋さんである。

私と同世代の方はご存じだと思うが、田中角栄さんの秘書であり、越山会の女王といわれた佐藤昭子の娘さんがかかれた、母親との確執を赤裸々に描かれた本を(父親は田中角栄)読み終えたばかりで、図書館は休みだし本屋さんで買いたい本があったのだ。

余談だが、娘さんのあつ子さんが書かれた本は、父親である田中角栄さんの意外な姿も随所に出てきて、実に興味深く面白かった。

戦後、男と女が昭和という時代に出会い、数奇な運命をたどるその修羅場の人生は、まさにドラマというしかない。どん底から絶頂へ、転落、そして病、老いての死。親子とは。

人間が人間としての幸せを感じたり、つかむことがいかに至難なことであるのかが 示される。あつ子さんは、私より3つ年下だがほぼ同世代なので時代背景がよくわかるし、読みながら浮世の人間の盛衰のはかなさが伝わる。

生れ落ちる場所での相違、愛を受けることのない環境での生誕はかくも人の心を仕方なくもゆがめてしまうのである。(それにしてもこの100年の現代史は繰り返し学び続けたい)

私がなんとなく生き延びて今もこうしていられるのは、やはり両親が極めて普通の常識を持ち、普通の愛情を少年期に注いでくれたからだろう。

頑固なくらい、親に倣ったことしか伝えられない自分を、親になってみて今も感じる。親は選べないから、愛情に薄い家庭に生まれた子供の悲しさは想像に余りある。

これ以上書くのは控えるが、表面からは見えない余人にはうかがい知れない心の奥の苦悩をかかえ、あらゆる華やかさの影で生きているのではないかと。(ダイアナ妃なんかも含め、きっとわんさか)

ところで、本屋さんには1時間ほどいて買いたい本、読みたい本が次々飛び込んできたが、そうは読めない。【福田恒存訳の夏の夜の夢】を買いたかったのでそれはすぐに見つかった。

もう一冊は、橋爪大三郎さんと佐藤優さんとの対談本【あぶない一神教】にした。次に買う予定の憲法の本も確認した。(私はイスラム世界のことをあまりに知らない)

今年もシェイクスピアを読み続けながら、私が信頼する先生のように思っている方々の本を読み、謙虚に学びたい。学ぶことは本当に面白く、佐藤優さんには血が通った人間味を感じるので難しいことも学びたくなる。

今日で私のお正月は終わる。2016年も声を出し、体を動かし、ささやかに本を読み続けたく思う。



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