この場所は、以前韓国語を学んでいたと頃に見つけた場所で、あまりきれいなベンチではないが、春から秋にかけて、私はよくこのベンチに腰を下ろし、しばしのひと時を過ごす。
桜のいろんな種類はもとより、ひときわ大きなメタセコイヤの樹木が、西川の用水路にどでーんと根を張っていて、まっすぐに伸びた幹を眺めながらの、いっときは、私にとっては大切な気分転換タイムなのである。
見てはいないが、世界の中心で愛を叫ぶというタイトルの映画があった。世界中の人が、日々の暮らしの世界の中心を生きている。自覚、無自覚は別にして。
若いころ随分いろんな邦を旅したが、みんなそれぞれの居場所に根を張って暮らしているのをこの目で見て、私もささやかに自分の居場所に根を張る暮らしをしたいという思いで、40歳で当時3歳の娘共々、妻の実家の西大寺に移住した。
あれから、瞬く間に23年の歳月が流れた。現役の渦中を生きているので、ゆっくり過去を振り返る余裕はいまだないのだが、 時折私はこの場所にたたずみ、あるいは本をひも解き静かな時間を過ごす。
ようやっと、そういう落ち着いた時間が必要な年齢になったということなのだろうと、私は思っている。
根を生やせるよう塾生と乾杯 |
さて、そのお気に入りの場所での突然のお花見を、何故か塾生としたくなったわけである。たまたまのタイミング、4人でのわずかな時間、メタセコイヤが我々を見下ろしている中のお花見は、愉しかった。
日暮れ時、塾生3人の 後ろ姿を何とか一枚とることができた。楽しい時はすぐに過ぎる、場所を居酒屋に変え、9時過ぎまで、ゆらんゆらんと、塾生たちとのほんわか至福雑談小宴会を、私は楽しみ、家路についた。
おいしいお酒は、おいしい面々と飲むに限る。このようなひと時は、私には年に4回もあれば十分である。
日常生活をこよなく大切にしながら、これから塾生共々、我々の世界の中心からシェイクスピアを声にだす遊声塾の活動を、メタセコイヤの樹に、見守ってくれるように祈った。
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