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2025-10-31

10月31日、結婚記念日に新潟駅の近くのホテルのロビーで打つ五十鈴川だより。


 10月月31日新潟のホテルのロビーで寸暇打っている。Wi-Fi接続を高校生らしき若者が、あっという間にやってくれた。彼にはバナナスムージーを馳走した。これも又、旅ならではのデジタル音痴お爺の特権である。

さて、29日に次女のところから那須塩原にお昼に着き、迎えに来てくれた石川さんと十数年ぶりに再会した、時系列にそって、忘れないうちにこれまでの行動をスケッチしておく。石川さんも私もそれなりに年を重ねたが、顔を見合わせると、有難いことに、空白時間はあっという間に氷解、私は那須岳に向かうことになった。

石川さんは寡黙で実直なお人柄で、前回もそうだったが、私はただ従うだけなのである。お昼抜きで、いきなり標高1600メートルの那須岳ロープウェイ入口まで直行。200メートル一気に上がり、巨岩の活火山の那須岳山頂を見上げながら、1800メートルエリア約一時間二人でトレッキングした。老いゆくからだが喜ぶトレッキング、記憶に刻まれた。

降りてそこから、那須塩原温泉に直行、会津屋という宿に投宿。すぐに二人で露天風呂に浸かり、夕闇迫る塩原温泉温泉郷を、夕食前散歩にでかける。これが又風情があってよかった。夕食前、風情のある洞窟風呂に。これが趣があり、年季がはいった塩原温泉ならではのお風呂だった。

午後6時お腹を減らしての夕食は格別に美味しくいただけた。午後8時まで温泉郷までおもに私が語り、石川さんが耳をかたむけるという再会時間が流れた。お酒が弱い石川さんが先に引き上げ、私は最後までお酒をのみほして部屋に、すでに石川さんは休んでいて、私も早々に横になった。

翌朝5時ふたりで朝湯に浸かり、またもや朝食前にお散歩、これも記憶に刻まれた。ゆっくり朝食を頂き塩原温泉を9時に後にした。それからは石川さんの獣医師としての仕事に付き合って、酪農家を4件回り、彼の仕事ぶりを眼に焼き付けた。いろいろな牛の写真を家族にたくさん撮って家族に送った。

至れり尽くせりの石川さんのおもてなしに、甘えたこと、そのことが心からうれしかった事を五十鈴川だよりに打っておく。午後1時再会の約束を固く交わして握手しお別れした。視界から消えるまで、石川さんが最後まで 見送ってくれた事を眼に焼き付けた。午後4時、大宮駅で乗り換え新潟についた。

歩いて10分、ホテルにチェックイン、荷をおろし夕闇迫る新潟信濃川から、無事ついた写真を送った。空には半月🌓が浮かんでいた。ころもなる古城の畔の遊子ではなく、信濃川をながむる老いた遊子ではある。でも願わない限りは来れなかっただろう。お爺さんではあれ祈り願うのが、老い人の孤独と受け止める。

暫し、とっぷり日の落ちた市内をうろつき散策し、とある老舗の中華のお店で早々夕飯、ホテルに引き上げた。


2025-10-28

上京旅3回目、次女のマンションのリヴィングルームで打つ五十鈴川だより。

 


次女のところで打っている。慌ただしき朝の時間を終えたひとときである。6時に起きて、朝食、洗濯、掃除を終え、周さんが葉を保育園に送って行き、まもなく次女がお医者さんに行くので、その間私が(周さんは仕事なので)風香のケアをすることになっているので、ちょっとお昼、娘が帰ってくるまで、お爺が面倒をみることになっている。

と、ここからは10時40分過ぎ娘が戻ってきてから打っている。約二時間の風香の子守り時間は格別な時間となった。時おりリモート仕事の周さんが、私たちの様子を伺いに覗いてくる。私が抱っこしていると、気を使って抱っこ紐を持ってきてくれた。ちょっと愚図った風香を私が立て抱っこ(お腹に紐で抱っこする)すると、何ともはや私の両手は解放され、風香はスヤスヤと眠りに落ちた。その後娘が戻って来るまでの約一時間起きることはなかった。娘の帰宅のチャイムがなったっときの安堵感は例えようもない。いま側で風香は娘にあやされミルクタイムを終えご機嫌である。今午前11時が過ぎたところ、続きは又時間を見つけて打つことにする。

と、ここからは娘が昼食に、キムチ焼き飯トンカツ付きを食べ、お昼寝を少しして洗濯物を取り入れ、午後3時に葉を保育園に迎えにゆく。(午後2時過ぎに打つ)

二ノ宮金次郎の私です。

今これを打っているのは28日の朝、朝食を終え葉を周さんが保育園に送っていき、側で次女が風香をあやしているそばで打っている。昨日のざっとあれからの流れを時系列で綴っておく。

3時に葉を保育園に、次女と風香と私で迎えにゆき、その足でコンビニでおやつを買い、井の頭公園にお散歩、ついておやつを食べようとしたら、蚊がたくさんいて早々に家に戻る。戻ってすぐに、次女と風香、葉、続いて私もお風呂をいただく。

夕飯前、葉のドリルをみてあげる。葉はドリルの問題があまりに簡単すぎて、おふざけがすぎるのだが、4歳のときの自分がどのようであったのかまるで記憶にないので、まあこのような感じであったのだろうと、受け止める。

夕食時、久しぶりに 少しだけニュースを見る。いきなり天皇陛下とトランプ大統領が画面にでる。そうだ、トランプ大統領が訪日しているのだ。目まぐるしく世界情勢は動いている。が、そのような大きなニュースをしりめに、私は次女夫婦のもとで、つかの間の滞在のお役にたつべく、ささやか、おだやかな時間を過ごしている。子育て真っ最中の、娘夫婦の大変さを少しでもの緩和、お役にたてることの有り難さを噛みしめる。

夕食後は、各自自由にすごし(とはいっても娘と周さんは次から次にやるべきことが)私も与えられた部屋で暫し読書、寝る前に、葉と周さんと3人でトランプをし、葉の寝る前の絵本の読み聞かせは、周さんがしてくれた。寝る前に、トランプ大統領がきたからというわけではないが、珍しく政治情勢の動画を探して見たのだが、老人の耳には、一家言ある方々の忙しない発言がやたら耳障りで、もうほとんど木偶の坊老人を自覚している私としては、早々に情報を遮断して眠りに落ちた。

もう老人なので、世界の行く末は、若いこれからを生きて行く世代に、私はお任せしたい。私は老人、超保守的にしか生きられない。娘たち家族の行く末をそっと 見守るお役にたてることの有り難さを、自覚するだけで十分である。昨日長女の旦那、レイさんから、有りがたいお礼のメールを貰った。予期しないメール立ったので嬉しかった。心のなかで、私のわずか二日間の滞在のお礼が綴られていた。そのようなメールをもらうと、老人の私がどれほど嬉しく有難活性化することか。

老いの下り坂、子守り他、何でもいいのだが、誰かのお役にたて、言葉で有難うの一言をもらえることの喜びを、長女家族、次女家族から今回もいただき感じる。明日は那須塩原の友人を訪ねる。東京滞在今日が最後である。打ち終えたら 娘が買い物に行ってきて欲しいという。お安いご用である。難しい事は無理だが、単純な事は、ひとえに得意である。一つでも取り柄のようなものを人生でみつけられたら、めっけものである。

2025-10-26

打てるときを見つけて打つ、短い上京旅2回目の五十鈴川だより。

 

掃除機をかけるミア

稲城は昨日に続いて雨である。ノアとレイさんは渋谷にお出かけした。周さん葉と落ちあい、四人でポケモンのイベントに参加するとのこと、私は娘たちと行動することにし、もう少ししたら、次女の住む三鷹の下連雀にでかける。朝食を終え、掃除機をかけ、ミアと雨の中わずかな時間昨日に続いて雨散歩に行き戻って、寸暇打っている。

 そばでミアおやつのアイスを食べ終えて長女とお掃除遊びに興じている。今日から次女のところに移動することになる。わずかな時間ではあれ、時間を見つけて打っておくように、こころかけている。

ここからは次女のところで、お昼(次女が作ってくれたカレー)を済ませ、ミアがお昼寝に入る前に、寸暇打っている。次女の二人目の子供風香、生後まもなく3か月は、ミルクを飲んでいる。

今私は73歳だが、7年前までは一人の孫もいなかった。今は4人の孫がいる。男の孫たちは父親と共に渋谷に、女の子の孫は娘たちと共にそばにいる。このような極めて当たり前的、日常のひとこまを、ス文字化してスケッチしてくるきたいという爺心は、自分でも不思議である。

きっとどこかで、家族をもて孫に恵まれるなんてことが、自分の中ではにわかには、現実とは思えないような気がするので、文字化しておきたいのだろう。今長女がミアをお昼寝に寝かしつけにゆき、風香はスヤスヤとお寝みしている。私の娘たち家族の生活ぶりは堅実質素そのものである。私もお昼寝がしたくなったので今日はこれにて五十鈴川だよりはOFFにする。


2025-10-25

小さな旅1、東京稲城長女のマンションで午後寸暇打つ。

 昨日、お昼に東京について、三鷹の次女のマンションに行き、持参した菜園場や我が家で妻が育てた野菜(那須、ピーマン、シシトウ、柿ジャム)他を新鮮なうちに渡し、下連雀からバスで仙川に出て、京王線に乗り換え、長女の住む稲城のマンションに午後3時に着いた。

一人遊びする未彩、よく見えない

仕事中のレイさんに挨拶。少しやすんで、吊し柿を6個気持ち剥いてベランダに吊るし、長女の淹れてくれたコーヒーを頂き、四時にノアを迎えに南山小学校に行った。ノアが嬉しそうに微笑んでくれ私も嬉しかった。

南山小学校は新興住宅地の住民が主に通う大きな小学校である。徒歩で10分位のところにある。その間にスーパーがあるので、ノアと二人で長女に頼まれた品々を買い物して帰った。

家ですぐにノアの宿題を見てあげた。算数と国語を。その後はノアはレゴに夢中にとりくみ(私がスーパーで買ってあげた)私も少し手伝った。五時半、今度はすぐ近くの保育園に未彩を長女とノアの三人で迎えに。

ミアは夏以来わずか2ヶ月のあいだに、俄然成長していて13キロになっていた。いきなり抱っこしたのだが、前回はいやいあしたのに、今回は素直に応じてくれたので、お爺の私としては嬉しかった。

夕刻、ノアと二人で最初にお風呂を頂き、長女が用意ししてくれたパスタで、全員揃っての再会夕食。食後は、疲れが出て、ノアと共に9時過ぎに長女が用意してくれた床についた。レイさん長女とはゆっくりと話すことも叶わなかった。

25日土曜日は雨、一番先に起きていたミアのお相手を少しする。朝食を全員で7時半すぎにして、愚図るミアを気分転換にマンションの敷地を、ノアと共に雨の中散歩に連れ出す。外が大好きなミアはすっかりご機嫌になり約30分以上自分の足で歩いた。2歳半にしては健脚で歩くのを楽しんでいるのがよくわかる。途中でノアが先に帰っても、ミアは帰らないで私と歩いた。結局マンションの外に出て、半周をそぼ降る雨をものともせずミアは歩いた。爺も愉しかった。

自分の意思で、頑なに事を成そうとするところは誰に似たのかわからない。が、先が楽しみなのは孫たちすべてに共通する。なんてことを臆面もなく打つと、単なる爺バカとの謗りを受けそうだが、まったくかまわない。孫たちをただ甘やかすバカなお爺だけはごめんである。共に歩いたり、ともになにかを作ったりとか、記憶にのこることをしたい、ただそれだけである。

私が散歩に連れ出している間に、レイさんと長女は洗濯物を干したり畳んだり出来て、家事が捗っていた。爺の役割とは何かとかはあまり考えない。その場で出来ることをやる。そのことの年寄り冥利さのありがたさ、年を経たものが味わえる特権である。

有り難き幸せ、なついてくれたミアは本を読む事もせがむようになった。何事も労を惜しまず接することで、コミュニケーションが生まれる気がする。案ずるよりもである。そのあと、レイさん、私、ノアとミアの4人で稲城の図書館に行き、午前中時間をすごし、本をたくさん借り家に戻った。外は雨、雨の日の図書館はとてもいい時間が過ごせた。

お昼前、ノアと長女はお友達のところにお出かけ、私レイさんとミアの3人は家で昼食。昨夜の残り物や、それに私が食べたいものを駅のスーパーで惣菜、お刺身三種類(サバ、鰹、イカ)サンドイッチ、コロッケなどを求め、美味しく頂いた。昼食後ミアはお昼寝、私は寸暇五十鈴川だよりを打っているというわけである。

2025-10-24

小さな旅に出掛ける前、朝の寸暇五十鈴川だより。

 少し時間がある。思い浮かぶよしなしごとを綴りたい。小さな旅とはいえ、予定を1日早くしたので、10泊11日の旅になる。還暦以後ではもっとも長い国内旅となる。

手元に本は必須アイテム

これからの人生時間を慮り考える。できれば元気に歩ける間に、毎年のように国内旅行を、可能なら妻としたいと、想っている。

今回は一人旅、というのは老犬のメルや猫のはながいるので、二人揃っての旅ができない、という事情を抱えているからなのである。なのだが11月半ばには、夫婦揃っての旅を短期間でやろうと、話あっているところである。

さて、若い頃は、発作的に旅に出ても、行き当たりばったりでもなんとかなり、それがまた特権的であり楽しかったものである。

世の中もまだいくぶん余裕があり、旅行代理店のかたなんかも、対面で若者貧乏旅を支援、相談にのってくれたものだが、世の中すっかり様変わり、インターネット、リモートでの予約が定着してきたので、私のような老齢者はすっかり時代においてけぼり感覚を生きている。

だが、私にとっての旅は、好奇心ある間は必須アイテムなので、生成AI時代であろうとも、その淡い、いわく言いがたい隙間を見つけて、一期一会的な旅を、と妄想する。一人旅をする者の事を、日本語で遊子と言うのだそうである。素晴らしい先人たちの紡いだ言葉、ゆうしと呼ぶ。風天の寅さんてきに遊び心旅に誘われるのは、古今東西枚挙に暇がないくらいの浮き世をさすらう御仁がたくさんいたのである。

私もその一人である。生家の近く同郷の歌人、若山牧水に最近とみに引かれる。[白鳥は悲しからずや空の青、海の青にも染まず漂う]漂泊の人生に、できもしないのに憧れるのは何ゆえか。それが分かれば苦労はしない。持って生まれた気質と言うしかない。

いきなり話は変わる。そのような老齢者の私を気遣って、妻がホテルやその他、あれやこれやと、割愛するがAIを上手に使って、無謀な旅にならないようにマネージャーを務めてくれた。老いては妻に従い、子にしたがうのである。何より家族在っての私である。

だが、家を一歩出れば、荷物を担ぎ、自分のいまの体で世間の風に当たり、あまりのと言えばあまりの、時代の急変の凄まじきつぶてを浴びる旅になる。だが浴びないと駄目になる。居心地の良い所ばかりにいると、視野狭窄に陥る。それを私は怖れる。私の旅は、安全な予定調和マニュアル旅ではない。

とはいえ、今回は娘たち家族に会い、滅多なことでは会えない友にもあい、生まれて初めて訪れる縄文遺跡への旅が、今日から始まる。折々五十鈴川だよりを打ちたい、楽しみである。



2025-10-22

共に働くkさんから頂いた、渋柿を吊るし終えた後に想う、今日の五十鈴川だより。

 明後日から小さな旅に出るので、今日は準備と急遽吊るし柿を剥く作業のため、労働はお休みした。昨日共に働くkさんから、おもいもかけぬ沢山の干し柿用の西条柿をいただいたからである。毎年のように氏は干し柿用の西条柿をくださるのだが、今年は大豊作とのことで、なんと100個以上くださったのである。

吊るし柿、冬の到来、想う秋。

旅に出る前に吊るさないと、あっという間に熟してしまうので、昨日の午後と今朝頑張って先ほど吊るし終えたところである。一口に100個もの渋柿を剥くという作業は、やってみたものでないと、わからない根気のいる作業なのである。

私が日本の秋の風物詩といえる吊るし柿に魅入られるようになったのは、秋になると働いていた中世夢が原の武士の屋敷の縁側に、毎年のように100個位はつるしていたからである。あれ以来100個もの柿を剥いたことはないのだが、十数年ぶりに、一気に剥いたのだが、くたびれたものの、吊るし終え、えもいえぬ充実感におそわれている。一句、(干し柿を、剥く手くたびれ、日が暮れる)。

剥いたのは私だが、妻が干す作業をてつだってくれた。私一人ではこんなにも早くは、到底むりだったろう。この数日で季節が一気に進み、柿は絶妙のタイミングで我が家に、届いたのだが、柿を収穫し吊るすための枝を剪定して残してくださったkさんの手間を思うと、、、。有難い秋のビッグサプライズとして、五十鈴川だよりにどうして打っておかねばとの気持ちがわいてきたのである。一句、(渋柿を、届けきし友、有り難し)

Kさんとはこの丸三年の労働仲間である。付かず離れずの良い距離感での交友が持続している。先日の猪風来さんのイベントでも奥様共々ボランティアしてくださり、私のやることを側面的にサポートしてくださっている、得難い方である。

現代という世知辛いご時世に、共に働きながら、細やかな晩年老齢関係性が持続している、その事ひとつとっても、私にはそうはあり得ない出来事なのである。これまでの人生では出会ったことのない実直寡黙誠実なお人柄である。私の人生では初めてのことなのである。だからこそ、最晩年を共有する身近な仲間であるk氏との関係性を、ことのほか大切にしたいのである。

ともあれ、五十鈴川は、久しくとどまりたるためしなし、濁りたくはない。動的平衡を保つために、絶えず変化変容する、本質的に大事な事を大切にするためにも。善き距離感で時おり手の届く、風通しのよい関係性を氏とは大切にしたい、と念っている。

2025-10-19

11月2日、新潟県の長岡市で催される縄文シンポジウム(自然と共に生きる未来)にゆくために10日間、旅に出ることにした。

 来週末、25日から久しぶりに10日間の旅に出る。東京二家族に会うのと、新潟の縄文土器遺跡を訪ねたり、なんとか時間をつくって、31歳の時に富良野で出会い、今は栃木県の那須塩原で獣医として働くI氏を訪ねる、ということは決まっているが、それ以外は未定である。

猪風来さんに頂いた資料の一部

5月の故郷帰省旅、8月の東京旅、に続く3度目の旅となる。還暦以後、平均年に4回位、春夏秋冬小さな旅を続けている。旅をしないと、私は窒息してしまう。

今回の旅、いつもとちょっと違うのは、新潟に(通過したことはあるが泊まったことはない)初めて新潟県に泊まる。目的は長岡の馬高縄文館と十日町博物館、埋蔵文化財センターを訪ねることと、、11月2日の縄文シンポジウム(自然と共に生きる未来)に参加することである。

猪風来さんからシンポジウムのことを知らされた。私はこれまで縄文博物館や縄文遺跡を訪ねたことがない。お恥ずかしいほどに私は縄文土器文化や、あらゆる文化全般に関して、無知蒙昧である。(ではあるが、これまでの我が人生に対して、今のところまったくといっていいほどに悔いはない)

おそらく猪風来さんに遇うことがなかったら、火炎土器が出土した縄文遺跡を訪ねることは、ひょっとしたら、私の人生ではあり得なかったかもしれない。俗世をさ迷うことに終始し、人生を終えたかもしれない。そのようなことを真面目に想う。でも、行きたくなったのだから往くのである。

この年齢での猪風来さんの企画イベントに関われたことのご利益は、私の未知(無知)の晩年の扉が開かれたことである。まだワクワクする自分がいる。そこが救いだ。せっかくゆくのだから最低2泊はする予定である。

18歳から(小学校六年生くらいから思春期も含む)折々、主に人、映像、演劇、音楽、書籍、自然との出会い、などなどの集積の上に、かろうじて生き延びてきた私の人生のこれまでに、新たに縄文文化と出会うことになる。オーバーではなく、老いながら、下りながら、縄文世界に導かれてゆくそこはかとない幸福感が今朝の私を包んでいる。

昨日も打ったが、決定的に縄文ワールドへの水先案内人は猪風来さんである。氏の醸し出すとてつもないオーラを私はこの一年の間浴び続けた。その事が私を縄文世界へと誘う。未だ変容する自分を感じる。老いの身に静かな情動が湧いている。どこか不思議でただ嬉しい。なにやらのお導き。もっと打つなら、老いゆくおのれを、縄文の渦に身を浸したい、のだ。未知の細道に触れたいのである。じっとしつつ、時折動く。うちなる感覚に身をゆだねたいのである。