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2025-02-26

一気にハレノワでのスパイラルアームズ公演モードに頭が切り替わった、今朝の五十鈴川だより。

 東京からもどると、4月30日の香川、岡山での共通フライヤーとハレノワのチケットが香川のH氏から送られてきていた。送られてきたチケットの枚数は100枚。個人でこの枚数を完売することができるかどうか。私にもわからない。これから2ヶ月、すでに知っている友人知人はともかく、未知の人になんとか半分くらいチケットを行商行脚したいと、私は自分に言い聞かせている。


5月で2才になる、レイさんが撮った
東京モードから一気にハレノワ、スパイラルアームズモードに頭が切り替わった。が、まだ岡山バージョンのフライヤーはできていない。が、急いては事を仕損じる。Nさんが必死に取り組んでいるので、氏からの連絡を私は待っている。その間共通フライヤーでしのぎ、すでにチケット代を振り込んでくださったかたに、チケットをおくったり、やれることをしっかりとやり、チケットの行商を面識のある知人から始めよう。

家族は私の年齢的なことを十分に勘案して、フライヤーの配布やチケットの行商などは控えた方がいいと心配してくれるのはありがたいことなのだけれど、こればかりはいかんともし難く、スパイラルアームズ、私が動かないことには、チケットはさばけないのを、私自身が深く承知しているからである。

私は私の性格を、どこか能天気天の邪鬼と自認している。無名ではあれ、自分が凄いと思うアーティストを小劇場ではあれ、ハレノワ300席を満席にしたら愉快で痛快である。私のような高齢者企画者の心をこれほど熱くさせるアーティストは土取利行さんと猪風来さんしかいない。だから昨年から度々五十鈴川だよりに打っている、のだ。

ところでいつものように話は変わる。仕事として企画を成していた中世夢が原時代とはまったく異なり70歳からは、自分の感性、心が動いたアーティストだけを企画している。もうこの年齢になると、自分ではいい意味で限り無く我が儘に自由に企画したいという思いががぜん強くなってきているのを、否定しない。

だからこれまでの人生で出会え、今も交友関係性が持続している古い友人に思いを伝え、厚顔を承知で支援カンパを募るところからスタートしたのである。詳細は割愛するが、意外な反応といったらカンパをしてくださった方に大変失礼だが、そのような反応が寄せられていて、人間性、人間味、人間という存在の揺れ動く多面性を、改めて私に知らしめている。

先日23日の夜8時半、稲城の長女の住むマンションに、私に会いに来てくださった相模原に住むM子さんとの交友は35年以上である。夢が原で働いていたとき、わざわざ夢が原での私の企画にあしを運んでくださったこともある。今回もいち早く支援カンパを振り込んでくださったかたである。

その方にどうしても郵送ではなくちょっとでもお会いして御礼を伝え、土取さんのCDや猪風来さんの本、原野さんの絵本、作品集を手渡したかったのである。実現して本当によかった。義理の息子のレイさんが暖かくもてなしてくれ、午後9時半頃帰ってゆくM子さんを見送ったのだが、ただただありがたかった。

だが、話はこれで終わらない。M子さんが帰ったあとレイさんと少し焼酎を飲みながら話をしていたら、突然レイさんが私の今回のハレノワでの企画にたいして、M子さんのようにカンパすると言ったのである。私はよもやまさか、レイさんがそのような事を言うとは思いもしなかったので、ビックリした。そこで夜中、フライヤーを作ってくれているNさんに、支援者の名前に日高レイの名前を追加して欲しい旨メールをいれたのである。

私とタッグをくんでくれる10数名の高齢の私の友人たちの輪の中に、義理の息子のレイさんが加わったのである。レイさんは30代後半、新しい世代の仲間が支援者に加わってくれたことの喜びは例えようもない。それも家族を代表して。

レイさんとは国籍や世代を越えていろんな話が日本語でできる。日本人と話ばかりしていると視野狭窄に陥る。地球の未来はリア王の最後の場面ような風景思い起こさせる。土取さんや猪風来さんはワールドワイドの視野を持つ真に稀なアーティストである。岡山のハレノワでのスパイラルアームズ公演、動く老骨人で、今を生きたい。

2025-02-25

記憶が鮮明なうちに、23日、24日の出来事をスケッチふうに打つ今朝の五十鈴川だより。

 昨日午後7時前に家に戻ってきた。日曜日のことを記憶が鮮明なうちにスケッチふうにわずかでも打っておこう。23日日曜日朝食を済ませ次女家族と私とノアの5人で、周さんの運転で武蔵野の面影が色濃く残る小金井公園にゆく。

この公園は子供を遊ばせるには抜群の公園で約2時閑以上、ノアと葉を存分に遊ばせた。主に私は見守り役だが、3才と6才の葉とノアは子供らしいという表現以外に表現が思い付かないほどに、滑り台、大きなトランポリン、そして自転車乗りにチャレンジして、青い冬空のしたひたすら遊んだ。

したがノア、上が葉

本当に尊い時間、無心にひたすら遊ぶ二人の姿を、私は眼底に焼き付けた。お昼は公園の中に敷物を広げて、簡素にお昼としたが、スナックふうのポテトフライや焼きそばが遊びに遊んだ、葉やノアには美味しかったのだろう、頬張っていた。

大勢の家族連れでごった返す人々をターゲットの出店の、何てことのないできあいのたこ焼きや焼おにぎりが美味しく感じられるのは、目一杯体を動かしたあとだからなのだろう。

ただただ意味もなく走り、よじ登り、飛び、滑り、なかなか漕げない自転車を、必死でバランスをとりながら全身で自分の体と格闘する。人と競争するわけではない。ただ自分と、そしてノアは葉と、葉はノアと兄弟のように遊ぶ。その姿を私は目に焼き付け、何枚かスマホで撮った。3世代天空の下いい時間を過ごせたことを、五十鈴川だよりに打っておく。

小金井公園から稲城まで周さんが私とノアを送ってくれた。葉は寝ていてお別れが出来なかったが、次女と周さんとはお別れ。わずか一泊二日のノアと私のお泊まりではあったが、密度の濃い普段とは異なる時間が過ごせた私は、いつも書いているが、この歳にならないと感じられない、いわば老いゆくなかでの慶びのような時間が与えられたことを感謝した。楽しい時間は瞬く間にすぎる、のだ。

少しやすんで夕刻前、レイさんとミア、ノアと私の4人でマンションの近くの公園に散歩にゆく、外は冬の寒さ、だがミアとノアは風の子という表現がこれまたピッタリで、ものともしない、一時間以上散歩したがミアはもっともっと散歩したいといってレイさんを困らせていた。ミアは外が大好き、ノアもインドアゲームも大好きだが、アウトドア遊びも大好きなので、バランスよく成長していて、おじじとしては嬉しい。

夕飯はレイさんが美味しいピザを焼いてくれた、私もノアもお腹一杯いただいた。夕食後いつものように、私とノアが先にお風呂に入り、ミアとレイさんが続いて、ミアはそのままお眠りタイム。

午後8時半、相模原に住む30年以上の交友歴のM子さんがわざわざ訪ねてきてくださり、大切な渡しものを取りに来てくださった。(この件に関しては、また後日打つ)なぜこういう経緯になったのかをよくはわからないレイさんが、素早く機転よく暖かくM子さんを迎えてくれた。良くできた義理の息子の対応が、私はことのほか嬉しかった。

午後9時半M子さんをマンションの玄関まで見送り、その後10時半近くまで、レイさんと焼酎を飲んで、男同士あれやこれや話をした。そこで思わぬことが起こったのだが、この続きはM子さんのことも含めて、後日打つことにする。

そして昨日朝6時過ぎ、出張先サンフランシスコから早朝4時過ぎ、羽田に着いた長女が帰ってきた。7時家族揃って朝食、ミアもノアもそしてレイさん、みんなどこかホッと顔がほころんでいた。娘も嬉しそうだった。私も嬉しかった。

午前9時、娘のところを後にした。向かったのは帰るときに必ずといってほど立ち寄る神田の古本街、休日でかなりの本屋さんが閉まっていたが開いていた本屋さんを数件巡り、数冊の本を求め神田でお昼をゆっくりととり、東京へ。私のチケットは割引チケットなので、のぞみには乗れないのだが、求めた本を手に、こだま、ひかりと乗り継ぎ、午後6時岡山に着いた。

2025-02-22

午後9時過ぎ、一日に2度目の五十鈴川だよりを打つ。このようなことは初めてかも。男の孫二人との一日は楽しかった。

 夜、午後8時をまわっている。少しでも記録を打ちたいという、老いの煩悩が五十鈴川だよりを打たせる。午前10時半過ぎ、稲城から京王線で調布に出て、そこからバスで三鷹の下連雀に、お昼ジャストに次女のマンションいにノアと着いた。

次女のところでハッサクをむく

着くと昼食の焼き肉の準備がすべて整って我々を待っていた。よほど我々の到着を待っていてくれたのであろう次女の子ども、葉くん3歳が玄関まで走って来て、歓待してくれた。早速美味しい心尽くしのお昼をいただく。

すっかり美味しい焼肉の昼食に満足した私は、娘たちの言葉に甘えて、お昼寝をさせてもらった。午後3時半、義理の息子の周さんと周さんの子ども葉くん3歳、私とノアの4人で三鷹の朝日湯という銭湯にゆく。よもやまさか銭湯に男ばかり3世代、4人で出掛けるとは思いもしなかったが、これもまた楽しい思いでのヒトコマということで、新鮮なうちに打っておかねば、と思うのだ。

もどると次女が夕飯の準備を整えてまっていた。夕飯前、私とノアと葉の3人でお相撲さんごっこのようなじゃれ遊びにしばし興じる。正直後あと何年このようなお付き合いが孫たちとできるか、何て考えると、今やれるときに、全力で遊ばねばとのおもいにかられる。

夕食は大人はお刺身海鮮丼を中心に、孫たちは野菜のコロッケやしょうが焼き、カボチャの煮たの、白菜の煮浸しなどなど、勿論大人もいただく。夕食後葉はお眠の時間が来たのだが、ノアが来ているので、もっと遊びたくて中々寝ない。周さんが何度も寝かしつけるが、うまくゆかない。結局次女がようやくねかしつけた。ここまで打つと時計は9時を指している。

ノアはまだ起きていてそばでゲームをやっているし、周さんは夕食の後片付けをしている。私は夕飯時に無糖のビールをいただき、今ハイボールをいただきながら打っている。お昼寝をしたせいか不思議と元気に文章が打てている。昔は人がそばにいたらまったく打てなかったのだが、最近はまったくお構い無し、打てるときに打っておく、でもさすがに、今夜はもうおしまいである。


稲城3日目の朝、寸暇五十鈴川だよりを打つ。j

 稲城3日目の朝、朝食を終え少し時間があるので打つ。昨日はあれから午後3時プールにゆくノアの付き添いで、出かけた。歩いて5分くらいのところのある。スイミングプール。冬でも全身運動のスイミングはいいと思う。約一時間後終えて出てきたノアにせがまれてアイスを買ってやる。頑張ったらわずかなごほうび。ノアはあまりねだらないから買ってやりたくなる。甘いおじじである。

初めて作ったポテトサラダ

もどってしばし漢字やひらがなを書く練習を見てやる。算数や理科、社会が得意なノアはあまり文字がを書くのが好きではないようだが、少しずつ少しずつ根気よく、すかしなだめやらせる。幸い私の言うことを聞いてくれるのがうれしい。

その間仕事を終えたレイさんはミアを保育園に迎えにいった。ミアはまだ私になれないが、どこか堂々としていて、わがままで、我を強く押し通す。すっかりパパっ子である。でもどこか愛くるしい個性が光っている。

いつものように五語6時半夕食。レイさんが子どもの好きな鶏肉の小さなハンバーグに野菜のお味噌汁、それに私の作ったポテトサラダときんぴらなどで、いい感じの夕飯を美味しくいただいた。夕飯のあとは私とノアはお風呂に入り、レイさんはミアの面倒を見ながら後片付け(本当にまめで感心しきり)午後8時ノアは少しゲームタイム。

9時近く私はいつものように、寝る前に絵本を2冊読んでやる。するとノアはあっという間に二段ベッドの上に移動、スイミングで疲れたのだろう、あっという間に眠りの世界に落ちて行き、私も落ちた。

ミアもノアもおねむりにはいり、その後レイさんと、焼酎を飲みながら男同士の久しぶりの語らいタイムを10時半近くまでした。会話は世界情勢、日本の神話ほか多岐にわたり、とても楽しかった。異国のお婿さんを娘が選択したがためにこのような会話が成り立つ。

そんなこんないろいろな感慨におそわれる。娘がレイさんを伴侶に選ばなかったら、きっと私は企画者としてはとうの昔に終わっていたような気がしている。複雑すぎて投げ出したくなるヨーロッパの歴史を今も少しずつ学んでいるのは、きっと娘が旧東ドイツの男性を伴侶に選んだからだと思える。我が娘ではあるが、女性は強い。

さて、今日は今日はこれから三鷹の次女家族のところに移動し、一泊することになっている。どのような一日になるのか皆目わからないが、きっと楽しい一日になるような予感がしている。

2025-02-21

今回の上京旅、記録的に綴りつつ、あわせて今をいきる私の思いなども綴りうつ、稲城二日目の五十鈴川だより。

 昨日は午後3時に学校から帰ったノアとお習字教室につれて行き、私もノアと同学年で、お習字を共に習っている女の子がお稽古するのをそばで見ていた。若い女の先生が厳しく、ときに優しく指導しておられたのが印象に残り、ノアはいい先生に恵まれたのだと、私には思えた。

戻ってほんの少し、ノアに漢字やひらがなの書き取りの稽古をするのを手伝ったりしている間にレイさんミアを午後5時半過ぎマンションのすぐそばの保育園に迎えに行った。もどって夕飯の準備、レイさんが仕事の合間に、パスタをゆで私のために作りおきのカレーを温めてくれたりして、お母さんはいないけれど、リモートで少し参加しながら、4人での夕食、私はただただ、レイさんの心尽くしをいただき、久しぶりの孫たちとの夕飯を感謝した。

想像力全開で読む

(かいがいしい、という言葉が、ミアをケアしながらのレイさんの姿に、私は感動した)

夕食を終え、私とノアはお風呂にゆったりとつかり、湯からでたあとノアの部屋で横になっていたら、朝が早い私は強烈な睡魔におそわれ、しばし沈没、午後8時半就寝時間がやって来たノアに起こされ、約束通りノアにヨシタケシンスケさんの絵本を2冊読んでやると、さすがに一年生の成長したノアは聞き分けよく、2段ベッドの上に移動、あっという間に眠りに落ちた。

私もまた、再び眠りに落ち、朝6時過ぎに起きてみると、6時半すでに朝食が準備されていたのには驚いた。いまこの五十鈴川だよりは、ノアは小学校に行き、ミアは保育園にゆき、レイさんはリモートで自室で仕事をしているので、誰にも気がねなく打てる。ベランダから背中に冬の日差しが、部屋のなかだから暖かい。

まるで日記、記録のようにわずかではあれ、綴り打っておきたいという、老爺心は平凡な日常生活への讃歌への気付きの深まり、以外のなにものでもない。ノアの通学路信号機が出来たので、そこまで見送っていったのだが、学校に向かうすべての子どもを朝の陽射しが照していた。

さて、いきなり話は変わるが、今回の上京旅に持参した本はただ一冊、タイトルは【戦争語彙集】オスタップ スリヴィンスキー作、ロバート キャンベル翻訳である。持ってきてよかったと、思う。

多くを語りたくはない。多くを語ることにも、正直もう疲れている。が、そうはいっても、元気な間は、どんなことがあって戦争や平凡な日常を脅かすような、ある日突然の、狂気的な振るまいには断固としたノーであるとの、決意は高齢ではあってもなんとしてもなくしたくはないものである。

悲しいかな人は老いる。孫たちは輝く。でもそれでいいのだと自分に言い聞かせる。私の両親も子どもたちの行く末を見守り、静かにこの世から消えていったのだと思うけれど、きっと納得していたのに違いないという安堵感のようなものを私はかんじる。

あまり言葉にしたくはないのだが、敢えて言葉にしておく。もうどこか私は現世に生きているのではなく、どちらかといえば、この世とあの世の真ん中辺りをさまよっているような感覚におそわれながら日々を生きている。だからなのかもしれない。もうほとんど昔のようには現世的な悩みのようなものにとらわれなくなってきている。水が流れる方にしか流れないように、私も流れて行きたい、ただそれだけである。

思想信条はまったくない、高齢でくの坊の私が大事にしていることは、限りなく少なくなって来ている。もうほとんどを手放しつつあるなか、どうしても手放せないものだけを大事にして行きたいと思う最近の私である。お見送りや、ちょっとした役に立つだけでも私は嬉しいので、そのような年寄りを可能なら一年でも長く生きることができれば、もうなにも私には必要がない。(今年の企画が無事にすめば、限りなく私は超シンプル老人ライフへシフトするように思える、家族や長い交友のかたたちと、ただ関係性を深めたく念う、そして意味もなく旅がしたい)

2025-02-20

稲城、長女家族がすむマンションのリビングルームで寸暇 打つ五十鈴川だより

 朝いちばんの西大寺発の電車で岡山に出て新幹線で東京に着き、中央線で新宿、そこから京王線に乗り換え、稲城の長女家族の住むマンションにお昼前に着いた。

新幹線のなかでゆっくりブランチをしたのでお腹は空いていなかったのだが、レイさんが作ったというパンが美味しそうだったので、それを軽くサンドイッチにしたものでお昼とした。

ところでなぜ私が4拍5日の予定で稲城に来たかというと、長女がアメリカはサンフランシスコに一週間出張になり、せっかく行くのだから、3連休を利用して系10日ほど家を空けることになったので、妻と交代で急遽やって来たというわけである。小学一年生の孫のノアが学校から帰ってくるまで、時間があるので暫し五十鈴川だよりというわけである。

五十鈴川だよりを打っているとパンのいい香りがする。やはり酵母が生きているパンは、ちょっと違う。部屋は床暖房が効いているし10階の部屋には日差しが差し込み、なんというのか、いきなり我が家とは違う空間にやってきて、身も心も忙中閑あり、ちょっと変身、孫たちとの時間を楽しもうと思っている私である。

2025-02-16

スパイラル・アームズのフライヤーを依頼したNさんと我が家で昨日対面での打合せをしました。そして思う。

 ハレノワでのスパイラル・アームズの岡山バージョンのフライヤーを依頼しているNさんと、昨日我が家でお昼から約2時間打合せをした。すでに何度かメールでは思いを伝えたりはしていたのだが、対面での打ち合わせは初めてである。

バイト先で見つけた蜂の巣

この数年何度も依頼しているので、私の人となりはかなり把握してもらええているので、かなりの時間一方的に私のこの公演にたいしての思いを伝えた。私の土取利行さん率いるスパイラル・アームズへの今の思いが少しでもNさんに伝われば、きっといいフライヤーができると信じたからである。

この企画の依頼メールが来たときの経緯はすでに昨年の五十鈴川だよりに打ったので重複は避けるが、当初現在の私の体力でこの企画を引き受けていいものかどうか、暫し逡巡したのはたしかではあるが、結果私は引き受けた。単純な私は一旦胆が決まればもう進むだけである。

あれからはやくも2ヶ月以上がたち、紆余曲折を抱えながらも、私なりのやり方で労働しながら一歩一歩進めている。そして現時点で岡山バージョンのフライヤーの打ち合わせが行われたというわけである。長くなるのではしょるが、今回の企画は、土取利行さんとの、長年の交友関係性で舞い降りてきたお話なのである。

体力的には、とうの昔に全盛期はすぎ、老境に入りつつある今の私にもたらされた、この企画、ハレノワ小劇場300席を満席にできるかどうか、デジタル音痴の、時代の流れにまったくついて行けない私には、ハードルが高いというのが正直なきもちなのである。

が、一旦引き受けたのだから、潔く引き受け、あとはやれるだけのことを、仲間に呼び掛け、老人力を結集して、他力の力、小さくても強い老人風を吹かそうと、覚悟を決め、古い友人や長いことご無沙汰しているこれまでの人生で出会え、関係性が持続している面々に、率直な私のおもいを伝えるところから、開始したのが一月の半ばすぎからである。

カタツムリのように歩みは超とろいが、確実に歩を進めているという実感が私を支えている。300席を埋められるだろうかとか、昔だったらおもい悩んだかもしれないが、(もちろん埋めるつもりではいる)もうそういうことに思い煩う年齢ではない。腹をくくるとは、収支を含めすべての責任をとるということである。

そのようなことをどういうわけか、40代からずっと我流でつづけてきたおかげかもしれないが、私にとって企画するということは、どこか腹をくくるということと同義なのである。素人が、仕事でもなく企画をする、引き受けるということは、覚悟を決めるということなのである。

一言で言えば、土取利行さんは私に覚悟をさせる、それに値するアーティストだからこそ引き受けているだけである。土取利行さんはそんじょそこらのプロの演奏家、パーカッショニストではない。この現代の底知れない、全世界が、人類が抱え込んでいる漆黒の深い闇を、見えない音の波動で照らす、言葉では尽くせぬ哲学者、アーティストである。だから私ごときが安易に引き受けるのは、冒険以外のなにものでもない、のだが名誉である。

話を戻す。昨日打合せを終えたばかりなのに、真夜中Nさんから、私のおもいを汲んだフライヤーの原案が送られてきたのを、今朝起きたばかりの体で見た。打合せの重みを感じた。私は気に入った。これでいこうとNさんにメールを送った。今朝の五十鈴川だよりはそれをアップする。

感動する。体がワクワクしなくなったら企画はできない。人間は泣き笑い憎み嫉妬しあらゆる感情を抱える自分でも御しがたい、とてつもなく摩訶不思議な、絶えず変容する器である。私の中の感動するバネのようなワクワク感が、思春期からあったればこそ何とか生き延びるることができ、いまもかろうじて企画ができているのだと、勝手に思っている。

PS タブレットの調子が悪く、写真がアップ出来ないので今日は文字だけの五十鈴川だより。後日写真をいれることにします。ご容赦ください。(代わりに蜂の巣の写真をいれます)

2025-02-15

73歳になりました。冬の日差しを浴び、今を想う五十鈴川だより。

 数日前に73歳になりました、が私の日常生活は普段とかわりなく続いている。古稀を過ぎてからのこの3年は、世間や世界のことはさておいて、こと私自身にとっては、きわめて普通に生活が営めただ存在している。その事がなにわともあれありがたいことだと、日々感じながら生きている。

気分転換に日本語を書写する

妻をはじめとする家族からは、今を元気に生きて活動している私にたいして、心尽くしのランチや夕食、労りとお祝いの言葉をいただいて、素直に嬉しかったことだけは、きちんと五十鈴川だよりに記しておきたい。

70才、ウクライナで戦争が始まった年から企画することを再開し、今年で4年連続企画をするなんて思いもしなかった。それも今年は春の4月30日ハレノワでの企画と秋の縄文と大きな企画にかかわれる。

昨年の秋まではよもやまさか、土取利行さんのスパイラル・アームズを岡山で窓口として引き受け、結果ハレノワでの公演をやるなんて考えもしなかったのだから、まさに事実は小説より奇なりという他はない。元気だからできる。企画が元気の源である。

昨年の秋までの私は、もう企画をすることはやめようと思っていたのにである。土取利行さんと猪風来さんはそのような私を再生させたのである。

何が私を豹変させたのであろうか。私にしかわからない感情が、言葉にならない何かが私の中に湧いてきたからとでも言うしかない。自分という生き物、器は移り変わり生まれ変わる。変容する。絶望が希望へとねじれ反転する。裏返る。

昨年12月1日、名古屋のライブハウス、希望へと点火させる爆発的なエネルギーを、土取利行さんのスパイラル・アームズのパーカッションの音の波動に私の体は撃ち抜かれた。私は覚醒したのである。

スパイラル・アームズの演奏を聴いてからのち、猪風来縄文美術館を訪ねてからは、作品がまったく違ったかのように私に迫って来た。(この体験には、今朝はこれ以上触れない)

以来、今月まで私は何度も猪風来縄文美術館を訪れ、今月も先日11日訪ねてきたばかりである。何故かくもなんども訪れるようになったのか?それは私のなかの何かが破壊され、奥深くしまいこまれ姿を消そう、諦めようととしていたものが、土取利行さんの音魂と、猪風来さん、原野さんの縄文土器、村上よし子さんのタペストリーが、あまりにもの生命力の躍動感、魂の輝きが、私の奥深い言葉にし得ない感情を揺り動かしたのである。(言葉にするのが気恥ずかしいので止める)

企画を持ち込んでくださった土取利行さんとの古稀を過ぎてからの再会と、縄文土器一筋50年の猪風来さん、奥さまの村上よし子さん、そして32歳、あまりにもの若さで召されたご子息、村上原野さんとの本質的ともかってにおもえる再会(この3人の創造作品の放つ普遍的輝きは、私のつたない言葉では表しようがない、その一途さに撃たれる。是非体感してほしい)が、私自身の今の生活に言い様のないエネルギーをもたらしているのはまちがいない。



2025-02-09

寒い日が続いているけれど、心のなかは一足早い春の気配、N氏のフライヤーが楽しみな五十鈴川だより。

 来週土曜日15日、4月30日ハレノワでのスパイラル・アームズ公演の、フライヤーを作ってくださるNさんとの打合せを我が家でする。

今日の気分転換に最良の本

しかし、打合せをの前に、すでにN氏とのやり取りは(メールで思い付くことなどを)している。今朝起きたら午前1時過ぎのラインに、ラフのデザインが送られてきて、意外な早さと、その発想力に、またちょっとワクワクしてしまった。だから五十鈴川だよりを打つ気はなかったのだが打つことに、した。

遅くとも2月末までには、フライヤーを完成したいとおもう。岡山バージョンのフライヤー、納得したものを創りたい。キャッチコピー、他、必要最小の文言を入れないといけないので、私もこの寒いなか、労働しながら思い付く文言を、体が発する言葉を、恥ずかしやを、かなぐりすて知恵を絞っている。

N氏は言葉巧みに、私を誘導するので、なりふり構わず、企画の恥は書き捨てとばかり、思い付いた文言を送る。

そうやってお互いの共同作業で、(私のおもいを汲み上げてくださり)N氏はデザインを進める。このやり取りはことのほかの愉しさで、まもなく73歳になる私を嬉しがらせ、刺激をもらえる。

企画をする醍醐味、まして仕事ではない企画を引き受ける喜びは、まさにこれからの未知の時間をいかにワクワクするか、しないかに私の場合はかかっている、といっても過言ではない。

ものの本で知る、老いと共に脳の記憶や創造力を司る前頭葉の退化が進むのは、摂理ではある。がその退化を少しでも送らせるには、企画をすることが、私の場合いちばんなのだと、思える。まず自分がワクワク、感動しなければ、目に見えない波動は他者には決して伝わらない、という確信のようなものが私にはある。

まったく話は変わる。現実的な問題として企画をするということは、収支のバランスが取れないと成り立たない。細々としたことは打たないが、今回のスパイラル・アームズ、ハレノワでの公演は私が窓口として引き受けてはいるが、内実は私のこれまでの人生で出会えた、奇特な友人知人たちの支援無くしてはまったく成立しない。

70歳から再び企画を再開し、今年で4年連続継続出来ているのは、繰り返し打つ、この友人知人たちの支えがあるからである。今回一月末から、スパイラル・アームズ支援カンパと、チケットの事前予約のお願いを例年のように封書で送ったのだが、他力の応援カンパがすでに寄せられている。(鳥取のMさん、岡山のSさん、Jさん、Kさん、鹿児島のHさん、神奈川のKさん、栃木のIさん、東京のM子さん、福岡のKさん、この場をかりて心から感謝します)

すべての仕切りを委ねられている私としては、チケットを完売すれば十分に予算的にまかなえる。収支を黒字化し、幾ばくか次の企画に打って出る余裕を残す。そのために必要不可欠なのがインパクトのあるフライヤーなのである。

フライヤーが完成したら、街中や岡山ローカルエリアを、(他県の仲間にも配布をお願いする、岡山のフライヤーに反応する人に出会いたい)お遍路するかのように配布行脚したい。



2025-02-08

あと5日で73歳を迎える土曜日の朝に想う、五十鈴川だより。

 この一週間かなりの寒波のなか、なんとかフルタイムではないが、労働を合計30時間やり、待ち遠しい土曜日の朝がきた。正直もうやりたくはないとおもう日もあったが、結果的にはいろんなことを考えることが出来てよかった。

長女の2番目の子供、未彩、5月で2才

家で静かに考えても、私の場合ほとんどいいアイデアや、思い付きが浮かばないのだが、体を動かして労働しいていると、血が流れ始め、雲の流れや風の音や野鳥の声に耳を澄ませたりしていると、あの人に連絡してみようとか、体が動き始めるのである。だからおそらく、先のことはわからないにもせよ、ひとつの啓示としてきっと労働が億劫になってきたら、企画する意欲が失われて来るのだろう、と考える。

だが、ありがたいことに間に合った。今年は何やら私の老人力は、なぜか今のところ不思議なほどといえるほどに、自分でもおかげの力で、ありがたやの力をいただいている。今がすべて、今がすべてと呪文のように唱え、新しい一日を生きている。

話は変わる。知らなかったが、私は統計とか、データとか、をほとんど頼りにしない人生を歩んできた。(いろんな人や書物に影響を受けてこの年齢まで生きてくることが出来た)

私がこのようなことを五十鈴川だよりに打つのは珍しいのだが、日本人の男性の平均寿命は、82歳、健康寿命が73歳であるとものの本で知らされた。気がつくとあと5日もすれば私は73歳になる。おかげさま、他人と比較するなんて野暮の骨頂、私は私の今を生きるしかない、当たり前の摂理を日々受け入れながら生きている。

ただおもうことは、寿命はまるきり私にはわからないし、健康寿命などという言葉自体が私は苦手である。命の終わりは何時なんどき訪れるか誰にもわからないし、健康寿命の終わりも何時なんどき訪れるかは、誰もわからないのである。だからこそこの年齢での日々を、私は慈しみ(このようなことを打つとどこか気恥ずかしいが)一日一日可能な限り悔いなくいるのだと、キザだが寒風のなかで、ものおもうのである。

73歳、まったくまたもや未知のゾーンに入って行くなかで、4月30日ハレノワで土取利行さんと再会(再開)、秋にはまったく未知の縄文世界一筋の、畏人稀人猪風来さんとの仕事が控える。さきほど、間に合ったと打ったが、これは自分にしか分かりえぬ感覚なのである。

満を持して、という言葉でしか言えないし、あらゆるタイミングが、まさに機が熟さねば降ってはこない企画なのである。だから敢えて五十鈴川だよりに打っておく。このような企画が我が人生にもたらされた運命の在り難さが、きっと私の、おこがましくも打つが、元気のもとなのである。

18歳で世の中に放りでて、才能なき我が身に時に絶望的になり、大切な人にご迷惑をかけ、あらゆる人たちの援助、理解のお陰で現在の私がある。あれから55年、やっとと言うべきか、耳を済ませば、命の終わりを微かに感じられるような年齢を迎えている。同年代の私の今をつくってくださった方々が、次々と冥界に召されている。だが、私は生きている。前回も打ったが、死者のエネルギーが私を鼓舞する。

土取利行さん、猪風来さんとお仕事できるのは、55年間の見果てぬ夢の、結実だとかってにおもえる。

2025-02-02

スパイラル・アームズ岡山公演、S氏と相談し単独岡山バージョンの必須フライヤーを創ることにしました。

 くどくどとは打たないが、春の4月30日のハレノワでのスパイラル・アームズの公演は名古屋、京都、大阪はライブハウス、香川と岡山は地元の有志で担当、全5ヶ所をツアーする。私は最後の公演地の岡山の窓口を引き受けている。

波乱万丈サイコーにカッコいい人


そのための共通フライヤーの データが主催のO氏から昨日送られてきた。一目見て感じたのは、共通フライヤーではダメだという直感である。右腕のSさんにすぐ相談し、急遽岡山は共通フライヤーだけではなく、オリジナルの岡山単独でのフライヤーを創ることにし、この3年私の企画のフライヤーを縁あって創ってくださっているN氏に、経緯を話し、私のおもいを電話で伝えると、私の性格をかなりつかんでくださっているN氏は、すぐに受け止めて、早速取り組んでくださっている。

私に共通フライヤーに対する期待のようなものがあったがゆえに、最初から岡山は単独バージョンのフライヤーでゆけばよかったと今は思うが、明らかに私の判断ミスである。とはいえまだ時間は十分にある。またひとつ学んだと思えばいいのだと、自分に言い聞かせる。

ハレノワに定員300人、岡山では知名度のないスパイラル・アームズを集客するのは至難である。だが、あの今は伝説的でさえある土取利行さんが、スパイラル・アームズを率いてハレノワにやって来るのだ。伝説ではなく現役バリバリの奏者として。

その岡山での仕切り、窓口を、土取さんと出会ってから46年になる私が依頼されたのである。(26才、子供だった私も少しは成長したのだ)うすぐ73歳になる私が、(熱くなる)のもやむを得ないというしか言葉が浮かばない。

そういう想いは私だけではない。中世夢が原以来、10数年ぶりにタッグを組むSさんも同じである。紆余曲折の果て、Sさんと同志的再会、福岡のKさんや鳥取のMさん(想像してもいなかった大口のカンパをしてくださった)東京のM子さん、岡山のジャラン等々がまるで我がことのようなアクションでハレノワでのスパイラル・アームズを支援してくださっている。もうビックリありがたいという言葉しかない。

なぜイベントを、企画を、私は仕事でもなく、70歳から再び再開し始めたのだろうかと、時に考えたりもしてしまう、が理屈も秘密もなにもないというのが、今の私の答えである。もっとカッコつけて、敢えて言葉にするなら、生きているからである。そして敢えて打っておくが、私を奮い立たせるのは土取利行さんばかりではない。今は亡き私の両親をはじめ、私がこれまでの人生で直接であれ、間接であれ出会え大きな影響を受けた方々が、次々におなくなりになっている。その方々が私に見えないエネルギーを与えてくださっているのである。

ときどき父が1999年、死ぬ半年前に書いた文章【 私は生きている】 を読み返す。もう26年前の文章である。まだ長女は9才である。私も人並みに年を重ねその文書が沁みて、私を鼓舞する。

家族をはじめとする、友人知人、いわばお金では図れない、私のいわば全人的交遊財産の感謝の念が、私を奮い立たせるのである。理屈抜きに土取利行さんスパイラル・アームズの公演を全身で見て聴いて体感してほしい。ただそれだけである。何としても満席にしたい。命のフライヤーが必須である。


2025-02-01

昨日午前中、約2ヶ月ぶりに瀬政さんと我が家でオセローのリーディングをする、そして想う。

 今日から2月である。わずか一日で気分が変わるのだから、当たり前という他はないが、人間はいいかげんなものであり、私なんぞはそのさいたるものであるとの自覚が年々深まる。

とは言うものの、年明けそうう発熱し、ダウンしてなんとか立ち直って以後は肉体労働に復帰し、なによりも足元の日常生活をたんたんとこなしながら、春のハレノワの個人企画に静かに向かっている。

ブレディみかこさんの短編集、面白い。

もう毎度同じようなことの繰り返しのような五十鈴川だよりであるのを、どこか承知しながらも、寝ておきて新しい一日を、本人はできるだけ新鮮に過ごしたいという老人性願望を、備忘録的に打つ続けているといった塩梅である。

話を変える。昨日、午前中約2ヶ月ぶりに瀬政さんと、シェイクスピア作品の【オセロー】のリーディングを我が家のリビングで正味2時間ほどやった。私が余裕がなかったのでしばらくできなかったのだが、一月末日久しぶりに実現した。

オセローの二幕と四幕、もう何度も書いているが瀬政さんがシェイクスピア作品の音読を始めたのは71才、昨年の3月、マエストロに聞け、からだから間もなく一年になろうとしている。

正直、よく続いていることに感心している。現代日本語に翻訳されている松岡和子先生の作品をリーディングしているのだが、要所要所、私がこれまで馴染んできた小田島雄志先生(どちらの翻訳が優れているとかの比較の問題ではなく)とは異なりまったく新しい気持ちで新鮮にリーディングできるので、まさに時間が瞬く間に過ぎてしまう。

約30年間のブランクの後、61歳からシェイクスピア作品の音読を始め、コロナで公の場でのレッスンはやってはいないが個人的には持続、昨年からは松岡和子先生の翻訳でまっさらな気持ちで公に再開したのだが、丸12年が過ぎた。

マエストロに聞けが終わり、続ける人がいなければシェイクスピア作品のリーディングもあきらめようと思っていた矢先、瀬政さんがシェイクスピア作品の音読を継続したいとの申し出。正直よもやまさか瀬政さんがシェイクスピア作品の音読を継続するとはおもいもしなかった。まさにハムレットの言葉【この天と地の間には哲学などでは及びもしないことが起こる】のだ。

妻は仕事で家にはメルと花が居るだけ、高齢者二人が、オセローの全登場人物を交互に音読する。たかが音読されど音読、瀬政さんは何せすべて初めてなのである。蓄積がまったくないのである。だが継続している。高齢者があのシェイクスピア作品の膨大な長い台詞をいきなりリーディングするのは、まったくもって途方もなく大変なことなのである。

体に付加がかかっているのは容易に推測される。途中休憩を入れて2時間ほど、一旦始めたら集中力と持続力が求められる。それでもあえて瀬政さんがシェイクスピア作品の音読に挑み続けているのは、きっとシェイクスピア作品の面白さを読むほどに体で発見しているからだろう。それとやはり、音読は体にとってとてもいいということを、瀬政さんが自分の体で実感しているからだと思う。

音読するほどに、日本語の言霊がお互いの体にしみわたり、オセローの嫉妬に猛り狂う言葉、イアゴーの知謀策略の言葉、デズデモーナの天真爛漫な言葉、あまりにもの意識心理のズレの悪魔的的小宇宙に誘われてしまう。なんという人間の存在の不条理、理屈抜きにシェイクスピア作品は途方もなく面白く、なんといっても今だからこそシェイクスピア、現代に通ずる。

ドラマ、劇的小宇宙自由世界に身を委ねる二人。いつの日にか、ささやかに、ささやくかのようなプロには出来ない、ミニの高齢者発表会ができたら夢のようである。