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2024-09-08

椎名誠さんの最新刊、さらば友よ編【続 失踪願望】を読み、深く打たれ、そして想う。

 今朝もなにか打ちたくなる自分がいる。この事を私は老いの煩悩の発露として、精神の調節機能としてこよなく大切な一時を偏愛する。五十鈴川だより依存症と言い換えてもいいくらいの最近である。

さて、今朝も運動公園でやく30分裸足散歩(足裏じんじん気持ちいい、大地にあんましてもらう)他のルーティンをやり朝食をすませ、なにがしかの五十鈴川だよりを打ち、日が沈むまでの一人(妻は仕事)時間を静かにすごす予定である。

ところで、今年はなん十年ぶりとかの再会が多い年にあたっている。そのような人生時間なのであることを痛感する。シーナさん、久しく直接お会いしてはいないものの、おそらく十数年椎名誠さんの本をてにしていなかったのだが、此のところ立て続けに、椎名誠さんの新しい本を手にしている。間接的に一方的にお会いできた喜びが満ちる。

偶然(必然とも思える)の成り行きで【続 失踪願望】、を今読んでいる。親友とのお別れ、さらば友よ、の文章に打たれる。私よりずっと先輩、何よりも男気がある。(私にはない)自分のことを、よたよた作家であるとのたまい、要するにバカなのであるとのたまう椎名誠さんは、やはりどこまでも私にはかっこいい兄貴とでも呼ぶしかない存在である。

私が40才の時、中世夢が原新天地で企画者として人生再出発、無我夢中、最初に企画したのが椎名誠さんの映画【うみ・そら・さんごのいいつたえ】である。その後アヒルの歌がきこえてくるよ。白い馬。ガクの冒険。4本野外で上映した。今となっては夢、幻だが、私にとっては宝というしかない思いでである。

すでにバブルがはじけ、世の中はその後長きの失われた30年といわれる低成長が続き、今現在も経済的混迷の軛は続いている。が私個人は、40代本当に仕事が楽しかった記憶しかない。あれからいく年月が流れ、あたりまえ私はもちろんシーナさんも歳を重ねた。そして今つくづく思う。無謀きわまりない野外映画の上映を実現できたことの幸福を思う。

そして年齢と共に、苦楽を共にしてきた方々とのお別れがいやでもやって来る。戦友の突然の死を知らされた時の慟哭に、胸が締め付けられる。此のような男同士の熱き情愛に裏打ちされた関係性に打たれる。そして想う、

私も限りなく失踪願望がある

私も此のような関係性を一人でも二人でも持てればと。

そして、今現在の椎名誠さんの文章に触れるながらあらためて感じ入った。これからいかに老いてゆけばいいのか、シーナさんの一文は、私のこれからに大いなる勇気、墓標を示す。シーナさんと同時代を生きられた幸運を、なんとしても五十鈴川だよりに打っておかねばならない。

要はあくまでも自然体がいいのである。一気に明るい煩悩とでも言うしかないほどの、お気軽さで私らしい在りようで、天と地の間をさ迷い歩くのがいいのである。この12年音読にかなりエネルギーを注いできたが、シーナさんとの間接的再会は、おおいなるシフトチェンジをする勇気を与えてくれる。

企画や音読に固執せず、あくまで個人的な好事家としての内にとどめ(個人レッスンと、自分自身のレッスンは続け)これからは旅、そして家族、妻や孫、大事な友と費やす時間を大事にしたいと、考えるようになってきたのである。

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