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2024-09-02

妻と出会って37年目の記念日、椎名誠さんの【遺言未満】という本を読んだ。そして想う。

 ちょっと時間がないが、少し打ちたい。昨日は私が妻とで会って37年の記念日だった。だから今日はお休みだし、妻と二人で瀬戸内海の三原まで在来線で小さな旅にでかける前の朝である。9月になったばかりだが、此の夏3度目の小さな旅である。


還暦の時だったかいつだったか、出会ったときのことをいずれ五十鈴川だよりに打ちたいのだが、いまはまだ気恥ずかしくて、とてもではないが打てないと打った記憶がある。そして今なら打てそうではあるが、やはりまだ今は打たないでおこうと思う。いずれゆったりと時間があるときにきちんと打っておきたいとは思っている。

妻との出会いなくして、その後の人生はまったく成り立たなかったし、子供たちがそれぞれ巣立ち、晩年時間の今も妻がいない生活というものが、私にはまったくといっていいほど成り立たないということが、身に染みてわかってきている。

だからこそ、面と向かってはなかなか言えないが、五十鈴川だよりでもって、間接的ではあれ打てるときに感謝の気持ちをきちんと打っておかねばと思うし、妻との時間を大切に過ごしたいと思う私である。

野暮を承知で打つのは、椎名誠さんの【遺言未満】という本を読んだばかりだからである。此の夏、知識人として尊敬畏怖していた松岡正剛氏が80歳でなくなられた。椎名さんも今年80歳になられているはずである。

同世代の訃報を頻繁に耳にするようになり、椎名誠さんが新聞の訃報欄を意識して読むようになり、自分もまたいつ死んでもおかしくはない年齢であり、(私だってそうである)人生の仕舞い仕度としての、葬儀に関してのあれやこれや、お墓のことなどのルポルタージュ。

そして椎名さんが世界各地で自分が体を張って体感した稀な貴重な体験や、見聞したことのあれやこれや、そして様々な本を読んでの知見、その考察がのべられている。シーナ・ワールド、80歳にして健在で(嬉しく驚く)、死について、自分の始末について真剣に考察、書かれた本である。

いずれにせよ、椎名さんの本を読んで、私もまた真剣に死と向かい合う勇気を、日々養って行かないと年齢の今なのであることを痛感した。(というわけである)

ところで、ここからは9月朝2日の夜明け前の時間に打っている。昨日あれから妻と在来線で小さな旅をしてきた。家を出発したのが朝の8時前、広島の三原から船で約30分、10時半に着き、瀬戸田にある平山郁夫美術館にいった。約3時間半滞在し、瀬戸田でお昼をして、夕方5時半には帰ってきた。

日帰りののんびり夫婦在来線旅はいったいいつ以来か。五十鈴川だよりをひもとけばわかるとは思うが、ひもとかない。過去よりは今である。くどくど打たず一言出掛けてよかったことを、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

そして妻の体調のいいときには(妻が出掛けたいというときには)先ずは妻とのこれからの時間を最優先、大切に過ごすことに私は決めたのである。古稀を過ぎてからそういう思いはどこかにうすらぼんやりとは深まって来てはいたのだが、椎名誠さんの遺言未満を読んで、私もまた元気なうちに、あれやこれやの整理整頓を始め、いい意味での前向きな仕舞い仕度をやりながら、(あれやこれや考え続け老いのアクションも大事にしたい)一日一日を過ごさないと、という改めての覚悟と言うと大げさに過ぎるかもしれないが、思うのである。

それにしても、椎名誠さんの本を読んだのは10数年ぶりだと思うが、本当によきタイミングで身につまされながら読んだ。私にとってはまさにどこか憧れのような、兄貴的な身近に感じる存在の作家である。40代、企画者として再出発、椎名誠さんの映画の野外上映会and講演会を中世夢が原で何度も企画ができたこと、振り返ると夢のようである。思い付き実行して本当によかった。

企画しなかったら、シーナさんとお会いすることもなかった。そしていま、【遺言未満】を読み、本質的にいいタイミングで椎名誠さんに再会できたように、一方的に感じている。


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