先週末から、少しずつ主に写真の整理やその他、ある日忽然と私が存在しなくなったときに、残された家族が、少しでも途方にくれないように、私のからだが元気な内に、できるだけのことをしておこうという殊勝な気持ちが芽生えている。
椎名誠さんを招いての夢が原の野外映画 |
だが、本質的に整理整頓が苦手な私である。ひとつの写真に見いってしまうと、次々に思いでの記憶の扉がひらいてしまい、手が止まる。インターネット時代以前にいただいた手紙や、お葉書など目にするともういけない。遅々として進まない。でも決めたのであるからやらねば。見かねた妻が、もう少し涼しくなったら手伝ってあげるといってくれたのが心強い。
反省はしても、この年齢まで我が人生、ほとんど振り返らず、心の内の押さえられない、自分でもよくはわからない衝動の赴くままに企画や、旅を繰り返してきたその夢の残滓が写真に残っている。十代、二十代の写真は多くはないが、三十代、特に企画者になってからの四十代の写真がたくさん残っている。我ながらよく動いた。ガムシャラという言葉しか浮かばない。よくもまあ企画が成った事実に運の強さを実感する。才能とは実現することである、というしかない。
話を戻す。これまでの終わった人生に一区切りつけたいのだ。まずは整理である。片をつけたいのである。この区切りの目処をつければ、老いゆく、(カッコつければ)未知の成熟ゾーンを迎える覚悟が深まるきがする。甘い考えなのかもしれないが。経験したことのない未知の老いの領域をこれから日々嫌でも経験しなければならない。その事をまずは厳粛に受け止め、その事から逃げず、老いを真剣に受け止め覚悟の養生を生きたいのである。
このままうっちゃっておくと、必ず残された家族が処分するにも難儀する。喜びのあとには必ず悲しみが訪れる。(喜びも悲しみも含めてそれがこの世、人生である)悲哀、苦楽この当たり前の宇宙の摂理を厳粛に受け止める勇気、覚悟を今のうちに養っておかないと、私のような弱い心の持ち主は、きっと機を逃してしまう恐れがある。それを私は望まない。
ある程度の一区切りスッキリしてからの老境、遊行期へと向かう身支度を準備しておきたい。ヶセラセラと言えるうちに。
PS 椎名誠さんの作品上映のあとのトークタイムの写真、今となっては宝の写真である。このような宝の写真の整理、アフリカの旅の写真、インドの旅の写真、家族との写真、友人との写真、ほか元気な内に整理しておきたい。
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