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2024-09-16

整理整頓、青春期に観た映画の宝のパンフレットがたくさん出てきた、なかでもロミオとジュリエット。そして想う。

 3連休三日目、今朝も朝のルーティン裸足散歩ほかをすませて、静かに五十鈴川だよりを打てる喜びの時間帯である。3日連続五十鈴川だよりを打つなんてことは、ほとんどないのだが、たまにはこういうことがあるのもまた、私らしいと勝手にいいほうに考える。

監督フランコ・ゼフィレリ音楽二ーノ・ロータ

さて、整理整頓を今日も少しずつ進めようと思っている。ちびりちびり進んでいる。基本的におやすみの時にしかやらない。

一応年内を目標にしている。さてどうなるのかは自分でもわからない。未来はオーバーではなく未知との遭遇なのだから、何が起こるかはわからない。でもまあ、穏やかな生活が続けば、片付くと思う。

細かな写真の仕分け作業に大分の時間がかかるのを除けば、かなり部屋がスッキリとしてきた。もうそれだけでもこの暑さのなかやれたことに、私としてはかなり満足なのである。

衣類の整理も始め、もうほとんど被ることのなくなった帽子等も、別れが忍びなかったが、この際思いきって処分した。甘い感傷にお別れし老い路を新たに旅ゆきたい。

思いきっての整理整頓を始めたことで、どこにいったかわからなくなっていたパンフレット等が大量に出てきたりして、思わぬ喜びに身を震わせたりもしている。やはり思いきって、整理整頓を始めたことは吉である。特に18才から25才頃までの、(我が人生でもっとも苦しかった頃)多感な時期に観た記憶の宝の映画のパンフレットは、捨てられないし、きちんと整理して、家族に残しておきたい。(数えてはいないが200冊くらい)

アンティークとして壁に季節ごとに飾ってもいい感じになるし、かけがえのない青春の宝の(辛い記憶も含め)の記憶が甦るので脳が活性化する。(気がする)パンフレットのなかでも一番のお宝は【ロミオとジュリエット】のパンフレットである。田舎で高校生で観たときにはお金がなく買えなかったのだが、18歳の時に上京して再び観たときに買ったのだろう。昭和45年6月21日テアトルの日付がある。テアトル銀座かテアトル新宿で観たのだと思う。

つくづく感受性が柔らかい時に見ることができた幸運に、今となっては感謝するほかはない。そして想うのだ、今見ても古びていない私が心を奪われた名作を、これから再びゆっくりあらためて元気な内にチャンスをつくって観てみたいと想う。(チャップリンのライムライトが神田の古本屋で、なんとDVD100円で買えた、ビックリである。この年齢で見ると一段と感動する)

話は変わる。若いとき、壮年期を経ないことには、いきなり老齢期はやってこない。そして老齢期もやはり経験してみることでしかわかりようがない、そのことを、私は今はっきりと実感している。これから5年後、10年後、私は息をしているのかどうか。だがそのようなことに想いを巡らす気持ちはナンセンス、私には毛頭ない。一日一日のその日暮らしをこそ、私は大切に生きるその事しか、ほとんどもうなにも考えていないし、もっと言えばそこにこそ老人生活を面白く生きる極意のようなものがあるように思える。

特にこの夏をなんとか乗り切り、夜毎丸くなる秋の月を愛でながら、健やかに在る我が身の一日の終わりを、裸足で大地を踏みしめながら想うのである。もうほとんど出家感覚を私は生きている。夢の残滓を整理しながら想う。これだけの宝の思い出に彩られた我が人生のこれまでであったのだという事実が確認ができたことは、幸せという以外にない。安心して老いてゆけそうである。

PS 一本の映画、一冊の本、一本の演劇、一人の人との、思春期の多種多様な千差万別の出会い、タイミングはほとんどその後の人生の行く末を決めてしまうほどに大きいのだ。

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