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2024-09-19

夏の労働を乗り切り、東京家族に会いに出掛ける、夜明け前の五十鈴川だより

 起きたばかりである。西の空には中秋の十六夜の月がまだ浮かんでいる。まあるい月を眺めていると、夜明け前自分も浮かんでいるような、いわゆる浮世離れした気分になる。小さな頃からこの世とあまりうまく馴染めず、結果このような人生を歩むはめに成ったのではないかと、今にして想う私である。

西の空に浮かぶ十六夜の月

さて、二人の娘家族のところに半々、5拍6日の予定で上京する前の五十鈴川だよりである。したがって時間にあまり余裕がないのだが、余裕がなくてもなにかうち綴りたいという煩悩が在るということをいいほうに考え打つ。

今回の上京の目的は、滅多に見る機会がないドキュメンタリーフィルムを東京都写真美術館でみることと、数ヵ月ぶりに、3人の孫の成長ぶりに接するのが目的である。もう口に出すのも嫌になるくらいの此の夏の暑さをほぼ乗りきった、自分に対するご褒美の小さな旅でもある。

9月になったら孫たちに会いにゆこうと想うだけで、どこかこの狂ったかのような夏を乗り切れたのは間違いない。単細胞の爺ばか承知で打たせていただく。

人間にはというより、私には幻想とでも呼ぶしかないような、どんなに小さな喜びであれ、希望のニンジンのようなものがぶら下がっていないと、頑張れないあまのじゃく的な体質があるのをどこか自覚している。その事がこれまたこのような人生を歩ませているのだというどうしようもない自覚である。

そしてそのような思いを抱えたまま、老いてゆく覚悟のようなものが、よきにつけあしきにつけ深まりつつある今を生きている。孫が小さいうちに共に遊べる時間をこよなく私は大切にしたい。それと平行していよいよ風に吹かれて、体が動くうちに小さな旅を(家族に会いにゆくのも含め)続けたい、のだ。。(お世話になった方々への訪問行脚旅もしたい)

旅先で、五十鈴川だよりを打つ。一日でも長く草刈りをしながら、体のコンディションを整え、限りなくお金に頼らず、自分に与えられた体(命)の発露の旅を一年でも長く続けたいという希望が膨らんで来たのは、此の夏の暑さのなかの労働のお陰である。

この年齢まで元気に生きられて想う。6年前まではこの世に存在していなかった孫たちの出現が、老いゆく私の命の日々の現在をいかに照らしていることか。そして真摯に私は考えずにはいられない。青二才の思春期から、そして今にいたるも、ヒトはいかに生きてゆくのかという、言わば答えのない問いを、問い続けるなかでしか生きている実感が持てなかった私である。(問い続けたお陰で辛うじて生き延びられて気がする)

養老孟司先生がおっしゃっていたが、生きてゆくことは日々断崖絶壁の上を歩んでいるようなものだと。とてもではないが、そのような境地にはほど遠い私だが、黄昏、孫たちが私を導いているのは幻想に近いとはいえ事実である。5泊6日の旅が楽しみである。



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