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2024-09-21

上京小さな旅3日目の朝次女のマンションで打つ五十鈴川だより。

 今日は、午後3本目の映画を観に行きその後、稲城にすむ長女のマンションに移動する。そばでおやすみのお父さんと葉君は遊んでいる。娘は半日お仕事で先程でかけた。母を見送る葉君が、行ってらっしゃい気を付けて、といっているのを耳にして、ちょっと感動した。

ヴェランダのレモンが実をつけていた

私は父と息子のそばで寸暇五十鈴川だよりを打つ。昨日は辰巳芳子先生のいのちのスープのドキュメンタリーを観て心が洗われた。これから生きてゆくために繰り返し思いを出すであろう珠玉の言葉の数々、先生の人生の軌跡が自然につむぎだされて、静かに深く私の心に届いた。

昨日に続いて来てよかったと一人呟いた。観終えて外に出ると彼岸の入りとは到底思えない暑さ、その暑さのなか一人恵比寿から渋谷まで歩いた。歩きたかったからである。途中渋谷の駅近くで、ひっそりとたたずむ、見逃してしまいそうな趣のある、年季を感じさせる小さなお団子やさんがあったので、娘たちの手土産に少し求めた。

渋谷から井の頭線で吉祥寺へ出て、30数年ぶりに私にとっての面影の界隈を散策した。吉祥寺は妻とであった街なので私にとっては、忘れられない思いでの縁深き街なのであるが、非情というしかないほどの変貌を遂げていて、あらためて浮き世の移り変わり、人心の移り変わりに老人の私はどぎまぎたじろぐしかなかった。

夕刻6時次女夫婦と待ち合わせ、とある居酒屋に夫のSさんが案内してくれ、まだ小さい葉君もともに夕飯、ごちそうしてくれた。楽しい団らんはあっという間にすぎて、バスで下連雀のマンションに帰った。戻ってすぐお風呂、葉君はお父さんと入った。私はお風呂のあと糖質0のビールをいただき、あっという間に床に着いた。

さて、今日の午後観る予定の3本目の映画がとても楽しみである。素敵に老いて輝き、まさに理想的に老いを受け入れ、見事にいきられてきた方々を見つめたドキュメンタリー。これから本当の意味での老いを受け入れ、老いゆく先に向かい合わないといけない私にとって、これ以上ない多義的な示唆に満ちたお手本にしたいドキュメンタリーとの出会いになった。

与えられた3人の小さな命輝く孫の存在が、嫌でも私を活性化させている。老いゆく命、輝く孫たちの命、循環する命の妙。生まれ老い朽ちる。葉君が父と遊びながら発する輝く言葉を、そばで耳にしながら、老人の私はなんとか今日の五十鈴川だよりを打ちおえることができた。

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