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2024-08-30

昨日台風余波の最中、我が家で瀬政さんと、ハムレット5幕とハムレットの長台詞ほかを音読レッスン、そして想う。

今日の 降水確率は80%だが雨は落ちていない。風もほとんどなく本当に台風が近づいているとは思えないほどの朝である。我がふるさとの兄や姉に連絡をとったのだが、被害もなく過ごしているようで安心した。が、同じ宮崎でも竜巻やその他の被害が多発している様子なのを報道で知ると、土地勘があるだけに、やはり胸が痛む。

8年前、2016年に求めた本

ところで昨日午後、瀬政さんと二人で、音読のレッスンを我が家でやった。テキストはハムレット。5幕をまず読み、その後、3幕一場のハムレットの有名な長台詞を繰り返し音読したのち2幕2場の最後のハムレットの長台詞やほかの長台詞を音読した。

瀬政さんが音読したい作品にヴェニスの商人の希望があったので、二人でおもにシャイロックが出てくるシーンも、急遽音読、お昼から3時過ぎまで正味2時間、二人でのリーディング稽古をした。

瀬政さんとの個人レッスンは、マイスターに聞け以後3回目だが、今五十鈴川だよりをうちながら想うことは、71才からまったく読んだこともないシェイクスピア作品を、いきなり音読することの何たる大変さを想像勘案すると、瀬政さんの挑戦に私はまさに脱帽せずにはいられない。

山にも登ったことのない高齢者が、いきなり高峰の険しい山に挑むようなことに例えたら理解の想像が及ぶかも知れない。が、しかし氏はゆっくりゆっくりと、私の言葉に耳を傾け、楽しそうに音読を続けている。高齢者同士が、シェイクスピア作品の登場人物を、二人きりで暫し声を出し会う。

静かな、充実した一時が流れる。ハムレットの言葉、此の天と地の間には哲学などでは及ばぬ世界があると。想像を絶する思いもよらぬ悪い出来事も、意外なよき出来事もこの世ではありうるという真実を知らされる。

私は想う、私にもいつなんどき立ち上がれぬほどの出来事や災難が降りかかるかもしれない、その事を想う時、昨日台風余波の最中、二人だけの偶さか音読時間が、限りなくいとおしく貴重な時間であるとの認識を深め、(明日はできないかも知れないのだ)そのことを五十鈴川だよりに打ちたくなるのである。

昔一緒に企画したりした仲ではあるが、晩年、よもやまさかヒトとしての成熟期に再会、一緒にシェイクスピア作品を音読したりするような時間を、二人して過ごすことになろうとは。我が運命の神は、思いもよらないプレゼント、粋な計らいをしてくれるものである。そしてやはり私はシェイクスピアに感謝せずにはいられない。

シェイクスピア作品の、あまりある魅力的な登場人物の言葉が、私を支えている。悪人も善人もまるごと人間としての言葉を紡いでいる。絶対矛盾をいきる登場人物。得たいの知れない自分に振り回される。何度音読しても飽きることがない。昨日打ったチェーホフの作品の登場人物もそうだが他人とは思えないのである。此の10年以上多くの時間音読した、魅力的な登場人物が私のなかに住み着いているかのような気配なのである。

気のおけない仲間との音読は、限りなく楽しい。もうあと一人でも二人でも仲間が増えれば、もう充分である。私はシェイクスピア作品の面白さを伝えたいがために、広報活動をやりたいのは山々だが、過剰なことはもうあまりやりたくはない。

老いゆくなかでの夢がまたひとつ生まれた、河合さんと瀬政さんと3人でロンドンにシェイクスピア観劇の旅に元気なうちに行きたいと言う夢が。夢見る頃を過ぎても、かって青春の最中自転車で徘徊したロンドン、ウエストエンド劇場街を、歩けるうちに歩きたい。(のだ)

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