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2024-08-05

8月最初の五十鈴川だより、8月5日シェイクスピアなりきり音読に挑戦のフライヤーができました。そして想う。

 うだる暑さが、用もない外出は控えよとのアラートがもう何日続いているのやら、そのようなアラートの中、国民の大多数のヒトが働いているのに違いない、と老人は想像する。私の2階の部屋からはバイパスを行き交うトラックを、夜中でさえ途切れたことはない。

長女が作ってくれたシンプルなフライヤー

世はオリンピック報道真っ盛りであるが、私のような盛りを過ぎた本格的老人は、ひたすら熱々さ対策をしながら、秋がやって来るのを待ち望んでいる。だが暑さにヒイヒイいいながら、最低、自分なりのやりたいこと、やれることは日々こなしながら生きている。

今日も猛暑の中、午前中体動かし労働をやり、たっぷり汗をかき戻ってシャワーを浴び、妻とふたり(妻が家にいるときにはお昼が用意されているので本当にありがたい)おひるをすませ、約一時間お昼寝の後、本当に珍しく平日の午後の五十鈴川だよりである。9月から始めるリーディング音読のフライヤーが今朝届いたので、嬉しいのである。その事を日々の生活の記録のひとこまを、老人の私はただ打ちたいのである。

老人と打つと、どなたかに(名前は控える)あまり老人老人と言わない方がいい、と諭されたことがある。が、その事にことさら反論をするわけではないが、もう十分に老人である。その事をいい意味で自覚しているので、たぶん私は自虐的意味では毛頭なく、真の意味での老人になりたいという、欲求を生きているのだ。私なりの老人世界の追求、お役にたてる老人世界を、今しばらくジタバタやれるのではないかという、いわば肯定的煩悩を生きているのだ。

鶏と卵、労働とリーディングはセットである。家族と友人、本、小さな旅、もう今の私の夏には他に何も不要である。(あと少々のハイボール)

話を変える。フライヤーは1000枚届いた。募集定員は今秋のターム、来年春のターム各10名である。これから一月かけて岡山市内を中心に約80ヶ所くらいに、各10枚配布する予定である。なくなったらいつでも追加できる。

自分にしかわからない小さな喜びが私に五十鈴川だよりを打たせる。まったくいい老人を重々承知してはいるのだが、未だからだのどこかの奥のほうがささやかにワクワクするのである。

先の上京で長女のところを訪ねた際、シェイクスピア音読に挑戦する初心者対象の講座をやりたいという私の思いを伝え、メモを渡したら、仕事の合間にあっという間に作ってくれたのである。シンプルに私の思いが伝わるヒトに伝わればとの思いである。(このような私の思いを受け止めてすぐつくってくれた娘には感謝しかない)

私はどこか楽観主義者である。労働も音読もからだひとつでできる。かけがえのない体ひとつで遊べる。小さい頃、おもちゃも絵本もとにかくなにもなかった。ただ体ひとつ飽きることなく遊んだ。日が暮れてなお遊びたかった頃の黄金時代の、私の幼少期の源体験が未だ私を支えている。老人であれ未だ遊びたいのである。遊びをせんとや生まれけむ。

このような老人と共に遊ぶシェイクスピア音読仲間に私は出会いたい。ただそれだけである。そのために老人はアクターとなり今週末から猛暑のなかフライヤー配布の行脚に出る。

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