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2024-08-18

妻と日帰り、小さな旅、津山の山奥に涼を求め出掛けました。そして想う。

 日中はともかく、朝夕かすかに過ごしやすくなってきたと私は感じている。妻と二人、先週末の夕刻は玉野の渋沢海岸、そして昨日は津山の奥の黒木という、数年前にいったことのある夫婦滝のある渓谷に涼を求めて、本当に久しぶりに夫婦遠路ドライブ、小さな旅をしてきた。

名前がいい、夫婦滝

還暦を迎え、しばらくして中世夢が原を辞して後、これからは夫婦だけの時間を日々過ごすことが多くなると、五十鈴川だよりに打った記憶があるのだが、あれから12年が過ぎた。

この世に生を受け、12年を6周した今年は、まだあと4ヶ月以上あるので振り返るのにはもちろん早いが、私にとっては元気であれば、次の12年に向かう節目の年となるのではないかという予感がするこの夏である。

夫婦滝までおおよそ我が家から90キロ以上、朝7時20分に家を出て、静かな交通量の少ないエリア、熊山から佐伯を抜け美作に入り、そこから津山を抜け、一度も休まず夫婦滝のある黒木渓谷に9時40分に着いた。まだ誰もいない夫婦滝を二人で詣で、あまりの涼しさに、家とは別世界だねと、二人で再び来れたことを喜んだ。

詣でたあと、清水の流れる岩の多い沢に移動、持参したのり巻き他でブランチ。お腹がすいていたこともあるが、やはりなんといってもアウトドアで、涼しくて気持ちの良い場所でいただくご飯は、つましい有り合わせの食料であれ美味しかった。贅沢ではない贅沢。

食後、夏休みを過ごす家族連れが増えてきたので、場所を少し移動、誰もいないところで二人で水遊びした後、30分近くお昼寝をし黒木渓谷を一時過ぎには後にし、そこから奈義町に抜け、妻は奈義町の現代美術館を見学、私は妻が美術館にいる間は、木陰で本(養老孟司先生とヤマザキマリさんの対談、虫の話になるとほとんどわからないが、二人のお人柄が素晴らしく私を引き付ける、一言面白い)を読んで待っていた。奈義町を後にし、津山を迂回、湯郷から瀬戸町へでて、午後4時前には家に着いた。

小さな夫婦旅、のよさを臆面もなくのうのうと綴るのは野暮である。ただおもうことは、いよいよこれからは、夫婦での穏やかな気持ちのいい時間の過ごし方を大切にしたい、せねばならないということが、くっきりと確認できた小さな旅となったことは、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

さて、話は変わる。老いるにしたがって遅読ではあるけれど本を読む楽しみは、60代の頃より増してきているように感じる。自分が変われば世界も変わるというが、その事は的を外れていないとおもえる。若い頃は難解に感じていたいたような書物が、いまは遅遅とではあれ読み進められる。(昨年読んだレミゼラブル原作の翻訳、長い小説を老齢でいま読むことの醍醐味を知った、年を積むことは面白い)

それは多分、死を以前にもまして、よりいっそう感じる力が増しているお陰で、今読まなければという煩悩が深まっているからだと想う。あくまで無理なく自然に読む。とはいっても、どんなに時間があっても、古今東西の叡知の財産の宝を読みきれるものではない。そう自覚しつつ、何百年も未だ読み継がれている書物を読みたいとおもう煩悩を私はいきる。

煩悩は私を活性化させる。若いときには他のことに夢中で読まなかっただけであるが、いまなら読める。嬉しくありがたい。書物は老人である今の私にとってもっとも手軽に、間接的に知的好奇心を満たしてくれるツールである。

世の中に出て、今もだがほとんどお金と言うものに縁がなく、限られたお金の持ち合わせのなか、オーバーではなく半世紀以上もやりくりしながらの生活をし続けているお陰で、お金に頼らない楽しみ方はいやでも自然に身に付いている。(とでもいうしかない)

だから私はお金を使って遊ぶということに関して、まったくといっていいほどできないし、しようとも思わない。中世夢が原で働いていたことが大きいと思うが、現代人的な思考がまったくといっていいほどに、私には欠落しているのである。お金に頼らない生き方というのは、けちであるというのとはまたことなる。今となってはあのようにお金のない暮らしのなか、(20代から40代)よくもまあ、あれだけいろんな国に旅ができたものである。

なぜできたのか、多分見たこともないものをこの体で体感したいという欲望を抑えることができなかったことと、貧しかったからこそ夢の実現のためにお金を大事に使ってきたからだとしか思えない。

仏教の教え、青春、朱夏、白秋、玄冬、で言えば今の私は玄冬の半ばを生きているということになるが、そうくっきりとは分けられないというのが、正直な私の気持ちである。未だ玄冬のなかに、青春も朱夏も白秋も含まれているというのが(72才の)実感である。

私は煩悩を肯定的にいきる。ましてや古稀を過ぎたらなおさらである。晩年父は苦労を共にした母をどこへ行くにも連れ添っていたが、ようやく私もそのような心境がわかるような気がしている。

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