結婚記念日の朝である。35年目はやはり大きな節目だなあと、おもう、深く言葉にはなしえない感謝の感情が体の芯から湧いてくる。私のような馬の骨、唐変木との長きにわたっての生活を持続してくれている、妻というか、今現在ではパートナーという言葉が一番しっくりと来る存在との出会いに。
今でこそハロウィンという言葉と行事はかなり日本人の生活に溶け込んでいるが、当時はインターネットもなく、まだどこかしらかすかにのんびりしていた。 双方の両親も元気で我々の門出を揃って祝福してくれたことを、はっきりと思い出すことができる。
式は西大寺の教会で挙げ、披露宴は建て替える前の古い家でにぎやかに行われた。まだ中世夢が原で働くことも決まっていない。前途に不安がなかったといえばうそになるが、新婦は私と異なり、生活力が在りどこか堂々としていたことが今となってはしきりに思い出される。
このような思い出話は、際限がないが、いつの日にかもっと面の皮が鉄面皮のようになり、つまりもう何もおもいのこすことがないような心境になれば、臆面もなくつづり打つことがあるかもしれないが、今はまだ思い出よりも今を生きることが肝要である。
妻が丹精しているマリーゴールド |
ともあれ、無事是名馬ではないが支え合い35年、二人の娘は本当にすくすく成長し、結婚し、今では二人の孫にに恵まれ、穏やかに過ごすことができていることに関して、平凡の非凡さを私はこの上もなく感じながら生活している。すべてはひとりの女性との縁、めぐりあわせの妙のおかげと感謝している。そのことを五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。
とくにコロナ渦中の35年目、大きな初めての手術 、妻の存在、家族の存在なくしては、術後あんなには踏ん張れなかったのではと思う。今音読自在塾を立ち上げ自由闊達に生活できているのも、すべては家族の土台の上に在るのだということへの感謝は以前の日ではない。
もし家族になにがしかの重大事が起きれば、すぐに中断手放すつもりである。そのこともまた、きちんと打っておきたい。35年前にすべては一からふたりで築き上げてきた暮らし、そこそこ普通に何とか歩めた事の有難さ、敬虔なきもちになれるのは、きっと今が幸せを実感できているからだと思う。
そしていよいよこれからのお互いの人生を邪魔にならない程度に寿ぎ、下り坂こそ難しい初めて経験する老いてゆく時間を、日々大切に歩むための努力を、積み上げてゆかなければならないと、自戒する。臆面もなく、愛ある暮らし、生活を大事に生きたい。
【PS 今朝の写真は私が撮ったもの。レッスン日他、Kさんと二人で、五十鈴川だよりの写真はまいります】