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2019-12-27

次女が帰ってくる年の瀬の朝に想う。

今日から元旦まで次女が里帰りする。長女家族はすでにドレスデンに。長女は22日から(レイさんと望晃くんは16日から)里帰りしている。(レイさんと娘から動画や写真が送られてくる、良き里帰り時間を過ごしているのがよくわかる、ありがたい時代だ)

だからこれから大晦日まで私と妻と母と娘の4人となり、しばしの間家族の賑わいとなる。午後岡山駅まで迎えに行くことにしている。次女が帰ってくるのを、妻と母はことのほか楽しみにしている。やはり生理的に妻には、いつまでも(嫁いでも)娘である。

妻と娘の守護神白血病のキャリアを克服した花
娘は姓が変わったとはいえ、私にとっても娘であるのは同じである。時代が変わり、娘が実家に里帰りして過ごせるようになってきたのである。大みそかには旦那さんも年越しに来てくださるとのことで、私としては感謝しかない。有難い。

次女の旦那さんは、細やかな気配りの感性があるので、ふつつかな親としては娘たちが二人ともこのような得難い男性を人生の伴侶として、巡り合ったことに感謝せずにはいられない。ともあれ、このようなことを臆面もなくつづれる私の年の瀬時間である。

それもこれも、やはり義理の母の、この数十年の陰ながらの支えというものが、あってこその年の瀬なのだということを、ようやくにして思い知る私である。娘たちもそのことを有難いことに、よく自覚していて相思相愛である。深い思いはやはりきちんと伝わるのである(重々思いいたさないといけないと反省する)

あらゆる人間が、あらゆる関係性を結びながら生きるのが世の習いであるが、かけがえのない関係性を結べるのは、たやすいことではない。ところでたぶん今日あたりから、母も我が家にやってきてお正月を過ごすのが年の瀬の恒例である。

昔母が植えた我が家のご神木の八朔、今年もたくさん実った
母は86歳、もうそろそろ一つ屋根の下で共に暮らそうと、何度も話すのだが、母はまだひとりがいいと譲らないのである。気丈な母ととしかいいようがない。そのような母だが、お正月だけはいそいそとやってくる。お正月はひとりが嫌なのである。

娘のように育てたという次女が帰ってくるので、母は 喜びもひとしおなのである。年々歳々、幼少期のお正月のあの浮き浮きとした情緒は私の中でも薄れてゆくが(甘受している)我が家の中には、失われしあのころの面影が、そこはかとなく残っている。

恒例の玄関先のお飾りも、母と妻の3人で我が家らしいお飾りを作るのが恒例である。家族の安全と無事を祈る、先人たちの紡いだ儀式はきちんと心から心に伝える、一つの家族でありたく想う。いつまで3人でできるのかは神のみぞ知る。今年は次女も含め4人で作ることにする。 そのことがうれしい。

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