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2019-12-31

大晦日の朝に想う。

大晦日である。良し悪しは置くとしても、悠久の時の時間の流れは日々変わらないのに、やはり大晦日は粛然とした気分になるのは、空気民族の日本人のやはりDNAとしか言いようがない。

もう私などはこの一週間、年越し前の前夜祭といったあんばいで過ごしている。今日は次女の旦那さんがお昼にやってきて年越し前の夕食まで共に過ごすことになっている、娘婿がわざわざ来てくれるそのことも私にはとてもうれしい。

近年こんなにゆったりと年の瀬を過ごしたことはない。そのことは先の五十鈴川だよりに書いたが、簡略に振り返っても還暦以降の年の瀬時間では、思い出に残る歳としてきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。長女が結婚した年と同じくらい思い出に残る歳となった。

2月の日高ご夫妻との出会い、弓の師との出会い、6月のロミオとジュリエットの発表会、8月の次女の結婚式、9月小学校の同級生との思わぬ出会い、折々の望晃くんの成長、とくに10月、11月連続再会時間でのあまりの変化に驚かされたこと、などなど。(12月中村哲先生の訃報は思わぬ出来事して決して忘れない)

ともあれ家族含めて、私にとって身近な方々が元気に四季折々過ごせたことに対して、まことに持ってありがたき大晦日というほかはない。昨日も午後娘、母妻含め4人で温泉に行ったのだが、娘が帰ってきた日にも温泉に行ったので年の瀬2回も温泉に入ったのも初めてである。

今は亡き生家の庭の晩年の両親に手を合わせる
地震は多いが湯船に入っているときには、そのようなことは事はけろりと忘れて、日本列島に生まれた湯あみの恩恵に浴する。母、娘が手をつなぎ湯から出てきたときの母の満面の笑みは菩薩的だ。年の瀬の冬の温泉は家族を幸福にする。

帰りコンビニにより、湯上りアイスを食べながら家に戻ってきた。吉井川の上流は幻想的な霧雨で 視界があまりよくはなかったのだが、それもまた良き思い出となった。戻って妻と娘がこの数日二人で手早く夕飯の準備、豚肉の炒め料理、サーモンのサラダ、餃子ほか。

母は80歳を超え、とくにこの数年私と共にささやかにビールを飲飲む、その時の表情がなんとも言えない。再び極楽的な顔つきになり、ああ幸せとのたまう。私まで幸せになる。ともあれ、幸福とは何か、苦を度々乗り越えてきたからこその母の笑顔なのであると承服【笑福】する。

母は夕飯後は薪ストーブのそばで、マグロになる。今年最後の夕飯は次女の旦那さんも加わる、感謝である。(ドレスデンの長女家族のことも想像しながらいただくことにする)



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