これからほぼ2週間以上完全なオフタイムに入る。小さなオフ時間とちょっと長めのオフ時間が、私の場合はやはり年齢的にも必要であるとの思いが、にわかにこの数年強くなってきた。そういう意味では今年は娘の結婚式で北海道に行ったり、故郷に4回帰ったり、何と甲子園に2回も出かけたりと、折々の季節、結構移動 したのは五十鈴川だよりに書いている通りである。
一年を振り返るのはまたにするが、私の場合季節が移ろうように、心も心なしかそれに沿うように移ろうようになってきてしまっているのではないかという、気が最近とみにしている。老いの自覚が深まり、微妙に体に響くような実感があるのである。
65歳を過ぎてから、可能な限り、老いを意識的に生きようと思い始めて間もなく3年になるが、老いの自覚を静かに深めるのに始めた弓も間もなく3年になる。何事も3年近く続けていることで、いまだ老いつつも体が微妙に変化しつつあるのをこのところ感じている。
冬の夜長は静かに本を読むのが最高です |
はじめて3年くらいでは何とも言えないとは思うものの、自室に設けられている巻き藁稽古の一時が、精神のざわつき、揺らぎを鎮めるのに、かかせなくなってきた。
気分がふさぐような出来事や、ニュースなどがあっても弓をひくことを続けていると、こころが 鎮まってくるのが以前にもまして実感できるようになってきたのである。故郷で出会った師から14キロの弓をひきなさいといわれ、今年からふるさとの日高弓具店で求めた稽古用の弓をひいている。(先生は私の弓の握り中塚を私の指に合わせて直してくださった)
弓には現在の年齢の心技体が 全て顕れる。どこかに体調の不具合があっては、絶対にといっていいほどに弓は引けない。まずまっすぐに立っていなければ(立てなければ)弓は引けない。だから何をなすにも、つまり働くにも声を出すにもまっすぐに立つという基本が弓によって、以前にもまして意識せざるをえなくなったおかげで、あらゆる生活面で効果が表れてきているのだ。 何事もゆっくりと丁寧に行う。
気持ちのいい健やかさというものこそが、いかにかけがえのないものであるという実感は、老いてきているからこそ、老いてこないと分からないということが、よくわかる。
だから、現在働け、声が出せ、弓が引け、本が読める体の有難さが、冬空の下沁みるのである。情熱の意欲の根拠は体こそすべてというほかはないのである。ずっと先にはきっと潮時というものが訪れるのだろうが、今はそのようなことに想いをいたすべきではなく、今日一日をいかに過ごすのかに初老男は想いをいたすのである。
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