ページ

2019-12-23

2019年年の瀬に想う。

年の瀬3日連続で五十鈴川だよりが書ける、書きたいという自分がいるのが、やはりうれしい。1日の始まりは改まった体の朝にある、とやはり思う。夜明け前の暗さから徐々に夜が明けてくるときの一時の静けさは、もう何十回も書いているが、やはりなんとも言えない。

ゆっくりと布団をたたみ、洗面を済ませ、コーヒーを淹れ、新聞にさっと目を通し、五十鈴川だよりの前に、昨日の新聞の書評をじっくりと読み、自分の琴線に触れた書評を切り抜き、ノートに貼りつけたらあっという間に1時間以上が過ぎた。

時間とは集中しているとあっという間に過ぎて行ってしまう。同じ時の流れなのに電車を待っているときなどには長くも感じたりするのに、好きなことをやっているときには、瞬く間に過ぎゆく。この年齢になると好きなことに、集中してことと向かい合っている時間が、一番幸福感に満たされる。(ように感じる)
五十鈴川だよりを綴れる間は書評切り抜きも続けたい

きっとそれぞれの年代を通過してのちの、今にして味わえる感慨というほかはない。若い時にはあれほどほしかったものが、今は全然といっていいほどにほしくはないのだから、ヒトは変化するのである。以前はぶれない生き方なんかに憧れたりもしたが、還暦を過ぎてからは、あられもないほどにブレブレである。(だって世界がこうもブレブレなのだから)

別に開き直っているのでも何でもなく、五十鈴川はあるがままに変容し、流れ流れ、日々を生きるほかはない。誰のコトバであったか、老いては義理を欠けという言葉に従いたいと、だんだん思うようになってきた。

話は変わるが、シェイクスピア遊声塾を立ち上げてから以降、言葉も交わすことがなくなっており、疎遠になっていた方から忘年会のお誘いがあったのだが、しばし逡巡したが断念した。それ以外にも思わぬお誘いがあったのだが、これもお断りした。

我ながら、不徳の致すところというほかはないが 、もうこれからの人生時間はお会いして自分にとって気持ちのいい方との時間を優先したいし、何よりもひとり時間や、妻との時間、母との時間、家族時間を最優先したいのである。

家族との時間以外では、シェイクスピア遊声塾の塾生との時間が、今の私にとっては一番大切な時間である。だからいつかも書いたが、水曜日のレッスンに現時点では体調を崩さないように、いいコンディションでレッスンできるように、以前にもましてとくに今年から気を付けている。

精神が安定し、健やかでないとよきレッスンは不可能である。立ち上げて7年目、7人の情熱のある塾生の面々との限られたレッスン時間は、老いながらますます大事な時間となってきた、この面々と翻訳日本語のシェイクスピア音読時間が、一番大事になってきたのである。だから、有限なるわが時間をあだやおろそかにはしたくないのである。

だからごめんなさい、私はますますこれから不義理な初老男に変身してゆくことを、この場を借りてお許し願いたい。限られた時間、シェイクスピア遊声塾の面々が豊かに成長するためには、私自身が一番もっともっと謙虚にわが体と向かい合い、学ばなければ、と おもうのである。

時間のゆるす限り、水曜日以外でも塾生が個人レッスンしたいという意欲があれば、忘年会はお断りしても、塾生の要望には応えるつもりである。健やかな体から発せられる、稽古場で出る思わぬ予期せぬ聲。今の時代のさなか、このような私塾に参加してくださっている、塾生との時間をいよいよこれから大切にしたい、と年の瀬に想う。

一途に頑固にしかし、どこかに余裕とユーモアをもって、言うは易しであるが。

0 件のコメント:

コメントを投稿