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2019-06-30

今日の音読輪読会のために、久しぶりにハムレットを読む。

外は梅雨空、雨は今のところ落ちていない。おそらく終日降ったりやんだりが続くのだろう。歳を重ねると暑さ寒さ、湿度他あらゆる気象条件に身体が敏感に反応するのがよくわかる。

まあ、例えば起きても今朝などは、体が重く感じたりするするのである。でもまあ、私には五十鈴川だよりという、体調調節機能があるおかげで、どんよりと曇りがちなわが頭と体を、上向き加減にすることが可能である。

私だって生き物だから、ふさぎ込みたくなったり、エネルギーを放出して茫然としたりすることはあるのだが、そこは年の功と、健康のおかげで対処できる。今のところ、掃除やささやかな手料理、散歩、水風呂等々で、気分転換を図り、音読ほか集中しないとできないことに、まあカッコつければ挑んでいる。

あえて、身体が重く感じたりするときには、ゆっくりと体を動かし、体操感覚でごろりゆるりと、ただの15分でもわが体を動かしていると、何やら気分は上向いてくるのが経験上わかっている。

いろんな翻訳で読むのが愉しい、学べる。
さて、私は本を読むのが遅い(読む本にもよるが)、今日はハムレットの音読輪読会である。時間を見つけて昨日までに久しぶりに一人で、ぶつぶつと音読しながら運動公園で読み終えた。(オフの日は、時間帯に応じて基本的に多読するのが私の読書)

一時間集中持続して音読することは、 この年齢になるとなかなかに負荷がかかる。酸欠になってあくびが出る。だが意欲の自己確認のためにも続けている。できる今を苦楽する。

ところで、先日のロミオとジュリエットの発表会で、音読輪読会のチラシを配った効果が、お一人ではあるが あった。連続して来られる方がおられるし、思いついて4回目が早できるのであるから、ちりも積もればの気持ちで、参加人数の多寡ではなく、良き時間を過ごしたいと考える。

還暦を過ぎて思いつきで始めたシェイクスピアの音読、はや7年目も半ばになろうかとしているが、身体は老いゆくのに、精神時間ははどこか時間が止まったかのように 、シェイクスピアの創造した言葉に、耳を澄ます感覚はいまだ深まっている。だから続けられる。

ヒトは呼吸を一瞬たりとも止められない器、呼吸を繰り返す。生きていることの始原の感覚、生まれてから息を引き取るまで万人に与えられた、それぞれの寿命は高貴の別なく、平等である。生きて今ある感覚を音読ををしながら、参加者と共有したい。

面白おかしく、時に大変悲しく在ろうとも、それこそがこの世との普遍は、あまねくシェイクスピアが全作品の中で、コトバに込めているところである。音のシャワーを浴びる。

ハムレットは答えのない問いを続ける。死の間際、最後の生き(息)コトバ、あとは沈黙。

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