ほぼ30通以上、墨をすってあて名を書いて、すべてに万年筆で一筆入れるので、とにかく時間がかかるのであるが、それが一番私には似合っているし、一番それがしっくりする、何よりもそういうふうに過ごせる時間があるということの、ありがたさをこの封書作業は確認することができる。
このようなことがない限り、お葉書を書いたり、手紙を書いたりするような感覚で便りを相手のことを想像しながら書くなんてことはない、だからはなはだ貴重な時間なのである。
ほとんど岡山にやってきて縁を得た方々に 、ロミオとジュリエットの発表会の案内を出すという形で、私の現在の暮らしぶりの一端を、知っていただくのは有難いというほかはない。
今回はとくに、もうほとんどお会いすることもなくなってしまった方々にも、もうこれが最後の案内になるかもしれないという思いで一筆入れ、これまでのご厚誼に感謝し、投函した。
私がデジタルに頼るのは五十鈴川だよりと、よほどのことがない限り はパソコンに向かわないが、便利さのスパイラルにはゆめゆめ気をつけないと、どこか足元をすくわれるという、生き物的な本能が私を不便さの方にと私をシフトさせるのだ。
だが、娘たちの若い世代のデジタルとの向かい合い方を見ると、やはりそれなりにバランスをとって上手に生活の中で、使いこなしているので、要はやはり人間性の問題なのである。
文明の利器というものは、利害や兵器や衝突での他者の存在の不幸を無視し、自分たちの道具としてのみ優先使用、自国の民ファーストであっては、これから先の時代あってはならないと私は考える。
水の惑星に生きるすべての民が、まずは飢えない程度の食物の連鎖ができるように、食料のキープ、その環境の維持にこそ生かすためにこそ、デジタル世代の若い能力をこそ生かしてほしいと、私などは考える。
だから、若い方々がプラスチックごみ問題や、銃の規制問題や、少数マイノリティの問題等、あらゆる利便さの上の負の問題に、ややもするとまたかとマイナス思考に陥りがちであるのに、果敢に挑んでいる報道なんかに接すると、どこかで初老男はほっとするし、やはり若さゆえの、その柔軟な発想に脱帽するのである。
いい歳であるからこそ体について学びたい私である |
孫に恵まれてからというもの、孫たちがこれから生きてゆく未来の、環境問題ほかに以前に比してだが、関心が湧いてきている。悲しいかな人間が第一人称的な、自分中心からしか世界をとらえられない、不自由な生き物であるとは認識はしている。(がそこを何とかしたい)
が生々流転、死者と生者の不滅の連鎖、循環は永遠なのであるから、旧態依然たる経済原則ではこの惑星はごみほかの、人類の負の遺産で 見る影もなくなるのではと危惧してしまう。
安全な水や、食糧が確保できる。惑星環境のサステナビリティ をこそが、これからの未来最も重要であるとの認識を、私などの凡夫でさえ考える。ではどうするか。
そのための新しいモラルライフの実践、老い方、老いる方法を考えたい。五十鈴川のせせらぎの音を聞きながら、太古からの命の循環の果てに今、自分がここに存在している有難さを想う。ロミオとジュリエットの発表会を終えたら、五十鈴川で沐浴したい。
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