私も含め、なかなかにシェイクスピアのコトバに命を吹き込み、朗誦することは至難である。でも私は塾生たちが、毎週毎週声を出し続けた姿を一番よく知っている。
私の塾に参加してくださっている 6名の貴重な塾生が少しでも、声を生きいきと出せるように、私としては微力を尽くしてギリギリまでのレッスンを積み上げたいと、それだけである。
そのためには、私自身がコンディションを崩すといけないので、とにかくよく寝てよく食べて、私も多くの異なる性格の役柄を一日に一回は声を出すようにしている。
好きこそものの上手なれ、というがしかりであると実感する。やはり、どこか声を出すことが好きだからこそ、続けられるのである。とくに現代人と異なるというか、エネルギーがあふれた時代の経験したこともない役柄が多い、シェイクスピアの登場人物の台詞は、異なる国の旅人になったかのように、つまりは遊ぶことが可能なのが、醍醐味である。
まあ早い話、普段の日常生活ではありえない言葉遣いで遊ぶことができる、そのことがシェイクスピアの劇を、いま生きているわが体で声に出せることが面白く、また簡単にはよじ登れない嶮しい詩的劇言語だから、挑みたくなるのである。
今回私は、小さな役も含め6名の役を音読する。(間違いの喜劇を一人で全役読んだことはあるが)登場人物が多いロミオとジュリエット、苦肉の果て、このようなことになっているのだが、私は人数が少ないからこそ、いろんな役を声に出して遊ぶのだというくらいの覚悟なのだが、やはり言うは易くである。
塾生のNさんが作ってくれた素晴らしい人物相関図、あらすじ、役名 |
ロミオとジュリエットは一役だが、ほかの塾生は私と同じような思いを抱きながらレッスンを積み重ねているに違いない。
わが塾では男性が少ないので、今回もまた女性が多くの男性キャラクターを音読する。そのことはやったもののみが知る、難しさである。ベンヴォ―リオ を読むMさん、マーキューシオを読むAさんは四苦八苦している。(まあみんな四苦八苦しているが)
でも、挑んだもののみが体感できる域にまでようやくにして達してきつつある。そのことが私にはうれしい。自分の体でその役柄と格闘し、自分の体にその役柄がなじむまで音読を繰り返すと、何かみんな一回り大きくなったかのような。
本当に、シェイクスピアの創造した、運命と格闘する登場人物たちを音読すると、いやがうえにも精神と肉体がいつの間にか鍛えられるのである。
その格闘し続けた塾生のロミオとジュリエットの発表会、一人でも多くの方に来ていただきたいと願わずにはいられない。
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