一口に13年、よく働いたと思う。彼女の働きなくして二人の娘を大学に行かせることはまず無理であったから、母親の底力のすごさをその間度々認識し、今に至っている。
私としては大いに結構、とてもうれしく思っている。妻は自分のことが五十鈴川だよりに書かれるのを嫌がるので、もうここいらでやめるが、フルタイムで働くのはやめたが、すでに歩いてゆける距離の西大寺の児童館で、週に数日働く仕事を見つけてきた。
ともあれ夏の終わり、次女が結婚式を挙げるので、それまではのんびりと過ごしてほしいとの思いである。妻も私もフルには無理だが 、働くことは苦にならないので、可能な範囲でうまく回ればとの思いである。
そのような流れで、平日もこのところ、雨の日私が家にいると妻もいるといった按配で、これからはいよいよ妻と共に過ごす時間が再び増えてきたのが、私としてはうれしいのである。(別々の部屋でお互いかってに過ごしている)
養老先生の本は繰り返し読む、ことにしている。 |
五十鈴川だよりには書いていないが、春先私のアルバイト先の空き地を、上司が 使っていいというので、今その12畳くらいのスペースに、ジャガイモや、サツマイモを母の指導の下に育てているのだが、まだ少し余裕があったので、先日の夕方母と妻と3人で枝豆を30本植えに行った。
もっと老いたら、土に親しむことは母との約束なので、今からずっと折を見て続けてゆきつもりである。(無心に雑草を抜き土に触れていると実に気持ちがいい)
昨日は午前中家から車で15分くらいのところにある瀬戸内市の図書館(この図書館が私は気に入っている)に二人で出かけ一時間以上過ごし、本を借りてその足で母をピックアップして、久しぶりに3人で和風のお店でランチをした。
妻が母と私に御馳走してくれた。妻は本当に母の面倒をよく見ているし、母もまた妻のことを頼りにしながらも、いまだ自立してのひとり暮らし。私にあのような凛とした晩年が過ごせるだろうか。隠者のような見事なひとり暮らしに憧れる。
人生の幕引きをいかに迎えるか、迎えられるのかは、今日の日々の過ごし方にかかっているに違いない。五十鈴川だよりを書き続けている煩悩は、きっとその日のための準備の 一端であるやもしれぬ、といった気もする。
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