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2018-07-17

いまだ修行という言葉がしみる、今年の夏である。

こうも暑いと、朝の数時間の涼しい時間帯がとても貴重であるので、いつもより早起きしている。寝起きの水風呂、これが最高、何はともあれ酷暑の夏を、夏バテしないように過ごすには、食欲に気を付けて睡眠をよくとることが何より大切である。

経済的に、優雅というには程遠い暮らし向きではあるが、(何が優雅かは置くとしても)仏教用語でいうところの、年齢的に、林住期から遊行期に向かう、我が身の日々の処し方としては、人生で初めてではないかと思えるほどに、心労のすくない日々の暮らし向きである。

それはやはり、子育てを終えたからこそ味わえる、晩年ならではの、初めて経験する初老の境地のようなものである。

あらためて今回の、身近に起きた大災害で、平凡に何はともあれ、家族そろって生きていられるということの、(食うに困らず、健康に穏やかに)感謝を先ず想う。

孫の望晃くんが4か月を過ぎ、娘から動画が送られてくるが、そのあまりの爛漫さに、シンプルな命の輝きに、おじじはうたれる。

こればかりは、いかんともしがたく、これまでの人生では感知しなかった初めて抱ける感情である。老いてゆく中で、神様が与えてくださったご褒美のようなものであると、受け止めている。
私はこの方の生き方、文章の大ファンである。学びたい。

遠くから、孫の成長と未来時間を見守れるような、おじじを目指したいと考える、殊勝な私である。そのためのおじじの役割は、務めは何かと問う夏でもある。

リア王、一幕の終わりの道化の台詞、【年をとるのは 知恵がついてからじゃないといけないんだよ】

ともあれ、今の私に、道化が言うところの知恵がどれくらい身についているのかは、皆目わからないが、 老いの身支度のようなシンプルな生活を心かけないと、これほどの資源ごみの惨場を映像で見ると、言葉を失ってしまう。グローバル化、ライフスタイルへの根本的な懐疑が私を襲う。話に脈絡のない五十鈴川だよりになった。

今日はこれから炎天下での草刈りであるが、老いのこれからをいかに生きるのか。孫の存在は問いかけてくる。修行という言葉が浮かぶ。

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