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2018-07-28

いっときも早く、この暑い岡山を離れ、故郷の五十鈴川に浸かりたい私。

とうと体が悲鳴をあげ、昨日は終日横になって過ごした。それがやはりよかったのだろう。今日はそこそこの元気さが戻り、こうして五十鈴川だよりを書こうというくらいの気力が戻りつつある。(朝のかぼそい声出しもなんとかできた)

今日は、3ヶ月半ぶりに孫との対面が叶うし、単身ドイツからやってきた、レイ君の姪のアメリちゃん15歳も共にやってくるので、これから一週間、我が家はにわかににぎやかになる。

戦後の匂いがまだかすかに残っていた少年期、我が家は貧しかったけれども、大家族とにかく、にぎやかであった。あの少年期の、今となっては黄金時代ともいえる思い出の数々が、今を生きる初老の私の宝である。

この歳になって返す返すも、幼少期、10代、20代、30代、40代、50代、そしていま、60代の半ばと、ささやかに私には思い出(つらい思い出も含め)がいっぱい詰まっていて、その思いでの力が、何とはなしに今を生きる支えになっている。

、少年期、特に思春期から、ヒトはなぜ生きるのか、又はどのように生きていったらいいのか、貧弱な頭で、悩み考えつつこの年を迎えたが、その青春時代の残滓はいまだに私の中に、くすぶる。

暑さ対策、詩を読むのもいいですね。
その残滓が、シェイクスピア遊声塾を立ち上げさせたのであろう。苦労や悩みから逃げずに、何とかしのいできたからこそ、今があると思える。

8月18日が終われば、五十鈴川に還ろうと思う。心から帰還できる、安らぎの場所があるということは、本当にあり難きかな、と思う。世界でたった一つの、私にとっての黄金の想いでの場所、どんなに変わり果てようが。宇納間神社の蝉しぐれを聴きたい。

昨日横になって いて、何度も五十鈴川の流れに身を横たえる、我が身を想像した。だあれもいない五十鈴川で一人初老の男が水遊びをする。そのような故郷がある、なんてのはうれしく在り難い。

ともあれ、リア王の発表会を終えるまでは五十鈴川での沐浴はお預けである。リアの台詞、【忍耐せねばならぬぞ、忍耐を与えたまえ、わしは忍耐の鏡となって見せよう】という言葉を、今しばらく呪文のように唱えながら、おじじは暑い夏を生きる。

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