今日は、3ヶ月半ぶりに孫との対面が叶うし、単身ドイツからやってきた、レイ君の姪のアメリちゃん15歳も共にやってくるので、これから一週間、我が家はにわかににぎやかになる。
戦後の匂いがまだかすかに残っていた少年期、我が家は貧しかったけれども、大家族とにかく、にぎやかであった。あの少年期の、今となっては黄金時代ともいえる思い出の数々が、今を生きる初老の私の宝である。
この歳になって返す返すも、幼少期、10代、20代、30代、40代、50代、そしていま、60代の半ばと、ささやかに私には思い出(つらい思い出も含め)がいっぱい詰まっていて、その思いでの力が、何とはなしに今を生きる支えになっている。
、少年期、特に思春期から、ヒトはなぜ生きるのか、又はどのように生きていったらいいのか、貧弱な頭で、悩み考えつつこの年を迎えたが、その青春時代の残滓はいまだに私の中に、くすぶる。
暑さ対策、詩を読むのもいいですね。 |
8月18日が終われば、五十鈴川に還ろうと思う。心から帰還できる、安らぎの場所があるということは、本当にあり難きかな、と思う。世界でたった一つの、私にとっての黄金の想いでの場所、どんなに変わり果てようが。宇納間神社の蝉しぐれを聴きたい。
昨日横になって いて、何度も五十鈴川の流れに身を横たえる、我が身を想像した。だあれもいない五十鈴川で一人初老の男が水遊びをする。そのような故郷がある、なんてのはうれしく在り難い。
ともあれ、リア王の発表会を終えるまでは五十鈴川での沐浴はお預けである。リアの台詞、【忍耐せねばならぬぞ、忍耐を与えたまえ、わしは忍耐の鏡となって見せよう】という言葉を、今しばらく呪文のように唱えながら、おじじは暑い夏を生きる。
0 件のコメント:
コメントを投稿