私は22年間、新倉敷から車を走らせ、小田川を渡り、川に沿って走り、矢掛町から美星町に向かい、復路も同じコースを走った。
散歩で摘んだ猫じゃらし |
土地勘があり、見慣れた風景の中の人々の暮らしのエリアが濁流に飲み込まれ、想像を絶するほどの、まさに未曾有の災害に見舞われている。
通勤コースは外れているが、真備町の市役所界隈は、何度も車で通ったことがあるので、あの周辺の、ほとんどが水に浸かった、今回のあまりに無残に変わり果てた災害の映像には、、、。
言葉では、一寸先のことはわからないとはいうものの、人間の感知しうることはおのずと限界があるのだということを、まさに知らされる。
もし我が家のすぐそばを流れる砂川や、吉井川が決壊したら、おそらくは同じような無残ことに 状況次第ではなっていたに違いない。
まさに他人事ではないのである。災害が少ないといわれる岡山ではあるが、油断したら大変なことになる、ということをあらためてこの災害は、私に示唆している。
行方不明の方々がまだまだおられ、晴れてはいても広島では決壊がおきたりしている。この自然災害はまだ続いている。
悲しいかな、身近で土地勘があるだけで、こうも 災害から受ける感覚が異なる、我が身である。
この年まで、大きな自然災害他、筆舌に尽くしがたい苛酷な経験をせずに、生かされている今を申し訳なく、感謝するしかないが、ささやかに何かせねばとの思いはある。
明日は我が身、誰の身の上にも、長い一生には このようなことが起こりうるのだということを、今更のように私は感じている。
0 件のコメント:
コメントを投稿