この灼熱地獄の夏をいかに工夫して乗り切ることができるか、知恵を総動員して何とかしたいと、五十鈴川だよりを書きながら、考える私である。
さて先日、ずいぶん久しぶりに炎天下で、草刈りに従事してみて、軽い背筋痛になってしまったが、声を出したりほか、ほとんど生活には支障がない程度の痛みなので、ほっとしている。いきなりだったので、きっと体が驚いたのだろう。
実は、今日も午前中草刈りの依頼があったのだが、リア王の発表会までは悪化させてはいけないし、今夜も自主稽古があるので断った。
でも私は、草刈りが性に合っている、嫌いではない。無心に炎天下麦わら帽子をかぶり 、青い空と夏の雲の下、滴る汗をかき、時折木陰で休む爽快感は、へたなスポーツで汗をかくより私にはいい。
妻が育てた見事なトマト |
はたから見たら大変そうなことも、やっている本人は意外な知恵の喜びを感じたりしているものなのだ。週に数回、半日くらいなら、やれるという自信が湧いてきた。
ところで19日夜 、久しくお休みしていた山陽カルチャーの教室で、一人の女性の生徒さんと向かい合い、最初のテキストである【間違いの喜劇】を2幕まで交互に登場人物を読んだ。
私はこの5年間カルチャーで、Uさん、Mさんと 二人っきりの、シェイクスピア作品遊読時間を持ってきたが、今回も素敵な生徒さんと巡り合えた直観が、私を包んだ。
お互い、声を交わし合ってみないことには、こればかりはわからないのである。日々の暮らしの中で 声を出してみたい、という内なる思いがあった方で、朝日新聞の私の記事を見てカルチャーの講座に参加されたのである。
ひまわりの葉に見つけた蝉の抜け殻 |
とにかく、初日の声の出し方、態度ほか、微妙なニュアンスで、その方の何かが私に伝わってきて、一緒に声を出していて楽しい時間を過ごすことができた。
遊声塾であれカルチャーであれ、月謝をはらってまで、シェイクスピア作品を声に出してみたいというキャラクターは現実にはそうはいない。(見えないものに投資する)
そのことは重々承知しているので、一人ではあれ、私としては一期一会の 今を生きる声出し時間を共にできる感じの方だったので、大いに安心した。
シェイクスピア作品を声に出に出し続けていたからこそのご縁である。初めての出会い、初めての声出し、初心忘るべからずとは、世阿弥のあまりに有名な言葉である。
ともあれ、新しい3人目のKさんが山陽カルチャーのシェイクスピア遊読教室に参加することで、講座が再開された。私としては生徒の多寡にかかわらず、【今】シェイクスピア作品を声に出して共に読む時間を新鮮に大切したいと、あらためて初心を噛みしめる。
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