ページ

2018-07-01

シェイクスピア遊声塾塾生に対して、いま私ができること。

開塾5年目、昨日山陽新聞にリア王の発表会の記事が掲載された。シェイクスピア遊声塾を立ち上げた時にも記事が掲載され、それを見て入塾された塾生で、今も塾生でおられるのはYさんだけである。

一口に5年間、根気のない飽きっぽい私がよくも続けてこられたのは、Yさんの存在が極めて大きい。今朝はそのことには触れないが、何度も書いているがシェイクスピア作品を声に出して、朗誦するということに挑むということは、はやりの言葉でいえば、半端ない行為であり、それを持続するという情熱は、まことに持って難しい。(シェイクスピア作品に私のように入れ込んでいる方は、そうはおられない)

だが5年目の今年、塾生が6名となり(うち3年以上が4名)私を含め7人でリア王の発表会に挑戦するのだが、今までで一番の手ごたえを感じている。(とくにシェイクスピア作品が好きだから私の塾に参加されているわけではない)

それは、かなり細かい指導に対しても音を上げずくらいついてくるし、一言でいえば、持続している塾生は、あえて困難な道(未知)の世界を体得しようとの想い、情熱(私にはわからない、それは何であってもいい)をどこかに抱えているからではないかと、考えている。

語弊を恐れずに書くが、私を含めた現代人のほとんどは、何事もなく穏やかで楽で楽しいことには、飛びつきがちである。

あえて苦しき修業のような声出し塾に参加される方はそうはいないし、今の時代の趨勢それが当たり前だと、私は受け止めている。

(でも私はいまだハムレットのように揺れ動き、このまま流されるのか、あがらうのかと、自問する、天邪鬼の私はこれまでの人生、ほとんど流される選択をしてこなかった。だからこそ今があるのだとの想いが私を支えている)

だから、私は現在の塾生には可能な限りの指導をしようと心に決めている。いつ何時できなくなるのか自分にもわからない(私にはほかにこれといった才能がない)これまでの人生で得たささやかな指導しかできないが、私の塾に縁あってこられた塾生には、私の持てる力、今できる指導を一年でも継続したいと念うのである。

Iさんという女性、今年3回目の発表会に挑む方がおられるのだが、この方の参加で塾が一段と良き方向に向かい始めている。詳細は割愛するが、私の至らない守備を多面的にサポートしてくださっており、それがまたほかの塾生にも良き循環を生んでいる、のである。

リア王群読、私以外はひとり何役も登場人物の声を出すので、聴衆が混がらないように、そのためのレジュメ作りに、昨夜も遅くまで骨を折られいた。

このような塾生の存在に対して私ができることは、レッスンをすることである。彼女の(塾生の)魅力を引き出すことである。

ところで記事のおかげで電話が10件以上あり、定員の80名に、はや 達しそうである。感謝しかない。



0 件のコメント:

コメントを投稿