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2013-04-24

過去に出会った方々との縁・きずなを深めてきたいと、61歳の春に思う



年賀状のやりとりだけは私が岡山に移住してからも欠かさず続いているこれまた奇特な友人が私にはいる。この21年間に会ったのは、私が岡山に来たばかりのころ、彼が岡山にきてくれた時と、彼の結婚式が栃木県の那須塩原で行われ私が訪ねたとき、この2回だけだと記憶する。

 

ときおり、ふっと思い出す私の友人関係の中では、得難い雰囲気を持った、いわゆる私とは全てといっていいくらい対照的な、異なる世界を持った(彼は獣医師なので、私のように気楽には旅ができない)方なので、私の方でかなり一方的に惹かれるのである。

 

妻との出会いも含めて、出会いということの摩訶不思議さが、人生の大半を決めてしまうというのが、私の人生観の主な見立てであることは、度々このブログで書いている。彼との出会いは、今から30年前、倉本聰氏のドラマで使われた北の国からの主人公一家が住んでいた丸太小屋に、富良野塾に参加する前私がしばし滞在していたとき、当時北大生だった彼が訪ねてきたのが出会いである。

 

あの日のことは、かなり鮮明に私の中の記憶に残っている。まさに人生の岐路に立ち青春と呼ぶにはいささか遅すぎ、これからいかに生きてゆくべきか苦悩を抱えていた私に、富良野の大地の上での、わずかな時間ではあれ彼との交流は忘れ難い。あの丸太小屋での私を知っている貴重なヒトでもある。現在の私は全ての過去の行為の上に在る。

 

今考えると悩みから逃げず、愚直な位に真摯に生きていた自分の姿が甦って来て、いささか胸が熱くなってくるが、そのような人生の季節に出会ったという意味でも、心から大切なわが友のひとりである。

 

61歳の今、これからの人生での私がやりたいことが、この一年の試行錯誤でかなり明確になりつつあるのだが、そのひとつは、これまでの人生で出会い私を支えてくださった方々と、これから本格的に再会し、交流をあらためて深めてゆく決意を固めたのだ。それが可能な季節が訪れたのだ。

 

私は昨年からヒダカトモフミ支援会員なるものを募っている。主に県内の方が対象ではあるのだが、厚顔は承知しつつ東京をはじめとする県外に住む私の大切な友人にも簡単な思いを伝えた。おもわぬ反応に私はまたもや、本当に大切な大事なことについてあらためて考え始めている。

 

案内を出しひと月、県内外からこれからの私の活動を応援する方々からの支援がポツリポツリ、ゆっくりと届く中に、彼からも応援の言葉(彼からの昨年の葉書の言葉には励まされた、大切にとってある、文字に人間性がにじみ出ている)が昨年に続き届いたのだ。言葉にならない嬉しさと責任の重さと同時に、新たなエネルギーが湧きあがるのを感じている。本当の意味での絆ということについて。

 

今私は、とにかくこの支援会員の方々を対象中心にした、企画や、人生途上トークをすごくやりたくなってきている。これまで縁があって出会い、私ごときのやることを支援してくださる方々との、交流の深まるようなミニの企画をうすらぼんやりとは考えていたのだが、支援者の顔が、私にこうしたらということを教えてくださるような気がしてきたのである。

 

支援会員対象の声を出す会、人生途上トーク、旅行(任意で)、DVD観賞などなど、名簿を作り、支援会員には企画をお知らせするのと同時に、ヒダカトモフミ通信なるものも、年に4回は出すことにした。ことほど左様に、個人でギリギリのところで生きてゆく覚悟を決めると、何やらすべてがくっきりと自分の中で整理されてきたのである。

 

エリックマリア氏のような一般対象の企画もするのだが、支援会員との交流を深めてゆける共有時間を過したいのである。なぜなら、人生の時間は有限だからである。あらゆる意味で再出発、再整理、再会の4幕目の幕がこれから開くのだということを感じる春である。

 

キィワードは、【遊】あそぶ中で関係性を深め精神の花が咲くことを願わずにはいられない。

 

 

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