故郷の高千穂の新緑 |
起きて間もなく、先ほど岡山では珍しい震度4を計測する地震が起きた。すぐテレビをつけたが、淡路島や大阪はもっと揺れが大きかったようだ。震度4でこれだけ体感するのだから、8や9という揺れは、想像を絶するということ、だと思う。
われわれが生かされている、この惑星はまさに、大いなる宇宙の中で、地中深く見えないところでたぎりながら回転し、動いているのだということを、たまさかこうして思い知らされる。大いなる天変地異の変動に遭遇しては、ヒトはやはり、科学や技術がいくら進んだとはいえ無力だと、私は思い知らされるべきだという立場に立つ。
だからこそ、人の人たらんとする、道のようなことを、あまたの先人のすごい方々が、人類の知的生き方を探求してこられたのだということを思う。その方々のやって来られた、すぐれた知的遺産は、手を伸ばせば五感で触れられるところに、書物を始めとする多様な表現で遺されている。
その宝に、今を生きる私をはじめとするヒトはなかなか、触れる時間がないままに、あるいは触れようともしないままに、生活に追われ、為すすべもなく大いなる力に、思考を奪われてゆくかのような、時代なのではないのかという、気がしている。
お金がないと不安という魔物にとりつかれ(必ずニュースで、円高円安を報じなければならない、株価の上下に、一喜一憂しいなければならない)ながら生きなければならないという、われわれの暮らし。私が生まれ落ちてから生きてきたこの61年間という時代は果たしてどのような時代であったのかということを、私は考えてしまう。
消費を美徳とするかのような、心までがお金にからめ捕らてしまわざるを得ないようなシステムの中で、果たしてヒトはどのように生きてゆけばいいのか、なんてことを、いまだ私はいい歳だからこそ、考えてしまうのだ。考えられなくなったら現役を引退し、静かに過ごすことを願うばかりなのだ。
考えるから、絶対矛盾を抱えざるを得ないとしても、邦楽番外地や、エリックマリア氏のライブを企画したり、ヒダカトモフミのシェイクスピア遊声塾のようなことを始めたいという、いわば業のような、自分自身からは逃れようがないというのが、現時点での私の認識なのだ。
50歳を過ぎるころから、私は本当に生きたお金を使うようになった(使うお金が限られているからこそ、ある意味で勉強ができ、企画が生まれる〉と思う。
この21年間、人並みに子育てしながら、限りない妻の理解があったとはいえ、企画が
続けられたのは、悩みながらも思考する身体と時間を持てたこと、わずかなお小遣い、それと私の仕事を今も応援してくれる、友人知人の存在を抜きにしては考えられない。
朝の地震で、何やら論旨のまとまらないブログになったように思うけれど、百の書物も読まなければとはならないことは言うまでもないのですが、やはり身体全身で感じる、体感する事を取り戻すことが、今ほど必要な時代はないのではないことを思い知る私です。身体在っての心という私は立場です。
だから、恥をかきながら共に声を出す塾を、私はバーチャルではなく、リアルワールドで4月24日から、とりあえず始めたいのです。そのことに関する私の記事が、今日山陽新聞に掲載されます。
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