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2013-04-12

チケットの行商を始めました、どうぞよろしく


学ぶということの楽しさがしみる年となりました

春眠暁を覚えずなんてことを昔から言いますが、21年間も早起き生活を続けてきた私ですから、今更ながら急にいつまでも寝ていたいなんてことは、若い時と違って全くありません。時間に縛られない生活が始まり、時間を気にしてのせこせこしたことがなくなったとはいえ、五時には自然と目覚ましがなくても眼が覚めます。覚めたらゆっくりとまどろみ、起きます。

 

ちょっと肌寒くはありましたが、コーヒーのスイッチを入れ、蒲団をたたみゴミを出す日なので、ゴミステーションまでいって帰ってくると、コーヒーが落ちているというわけです。さあ今日は、どのような一日になるかなあ、なんてことをおもむろに考えたりしながら、パソコンのスイッチを入れ、しばし何を書こうかなんてことに、思いを巡らせているたまさかのこのひとときは、一日の始まりの最も個人的な幸せな時間です。

 

さて、先のブログで触れたのですが還暦を過ぎ、厚顔無恥を省みず、ヒダカトモフミの今後のささやかな仕事を、応援してほしいというお願いの案内を100通くらい出したのですが、決してこれまでやってきた私の仕事が無駄ではなく、きちんと受け止めてくださった方がこんなにもおられるということにたいしての有難さを、私なりに噛みしめています。

 

長くなるので短く書きますが、昨日から本格的にエリックマリア氏のライブのチラシ配布とチケットの行商に出かけました。午前中、とある方に6年ぶりくらいに再会しました。中世の歴史公園で長らく働いてきた私は一期一会、今だけが真実、無礼厚顔無恥は重々承知しつつ、退職後第一弾となる、エリックマリア氏のライブのチケットを、率直に買ってほしいのだけれど、と申し出ました。

 

Yさんは、やさしい面ざしで一灯、2枚も買ってくださいました。私の小さいころよく行商のおじさんやおばさんが、我が家にやってきて魚や野菜や豆腐などを、母が買っているそのやりとりを幼心に私はよく見ていました。原風景というのか、その景色の鮮明な記憶、穏やかな貧しき仲にも助け合う笑顔のある暮らし、を時代錯誤は承知しながらも、今後はその原点帰りの企画をやらずにはいられない、という思いが深まる私です。

 

明らかに、瞬時にチケットが売れるIT時代とはずれているのだが、造花ではなく大地にきちんと根を張ったような、小さき花であれ何であれ、私が企画したものを聴いてくださいませんかと、自信を持って言えるヒダカ企画の行商を私はやりたいのだ。大人数の方がやってきても困る私の企画は、極小の商いの原点企画なのかもしれない。そんな一枚のチケットを買ってくださる方に、私は出会いたいと思わずにはいられない。

 

当たる、ためには動くしかない、というのが私がこれまでの人生で得たことの一つだ。ただやみくもに動くのではなく、動きたくなるまで静かに過ごすということもまた必要なのだ。静と動は、異なるベクトルではなく、私の中では同じなのである。

 

さて、終日動きまわり充実した業をこなし、家に帰って着かえて運動公園にゆき、少し身体を動かし、図書館にゆき今日の私の仕事の全てを終え、郵便受けを覗くと、この数日なかった、郵便振替の通知書が入っていた。

 

 

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